「日本書紀」「古事記」更に福井県小浜市の若狭彦姫神社に伝わる「秘密縁起」の中に出てくる
山幸彦が翁の案内で竜宮へ向かうシーン。山幸彦の乗り物が水平に進んだのか、それとも海底に
垂直に沈んだのか。
まず、本居宣長の「古事記伝」によりますと、江戸時代の学説では、竜宮について "海底には
あるはずがない"というのが主流だったようです。具体的には薩摩の国(鹿児島)の近くの一つ嶋、
又は琉球、対馬などが挙げられています。
この場合、山幸彦を乗せた小船は水平に進んだことになります。しかし、本居宣長はこれらの説は
すべて誤りであるとしています。「日本書紀」「古事記」をよく読めば、竜宮は 海底にあるに
決まっていると断言しています。
どちらでもよさそうですが、神話学者の村松武雄は、その著「日本神話の研究」(培風館 昭和30年刊)
の中で、次のように言っています。
「水平的な進行と垂直的な沈下と、いずれが原義であろうか。この問題が神話に於ける或る一つの
話根の真義を把握する上に、決定的な関係を有してゐるのである。」そして、村松武雄はギリシャ
神話の例などをあげながら、海神のすみか、つまり、竜宮は海底にあり、従って、尊(山幸彦)が
乗った籠は、垂直に沈んだとしています。
また、村松氏は、国文学者の折口信夫(おりぐち しのぶ)が、問題の籠について神への供物を納める
容器で、神霊が乗り移ったものだ、とする説を紹介した上で「籠に入ったまま尊(山幸彦)が海底に
沈んだというこの説話には一種の"神 天降り"の信仰が根底にあった。」としています。
この辺りで、神話学には全く疎い私の理解の範囲を超えてきましたので、再び、福井県小浜市の明通寺に
伝わる「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)絵巻」(江戸時代の模写) の世界に戻ることにします。
平安時代末期(12世紀後半)、常盤光長という絵師はどんな思いで、海幸山幸の神話を描いたのでしょうか。
竹の籠を肩に懸けて、山幸彦の前に現れた翁は、その籠をおいて、山幸彦の話に聞き入っています。
その同じ画面の向かって左隣りでは、山幸彦は籠の中に下半身まで入れ、目を閉じています。この時代の
絵巻物によく見られる異時同図画法が取り入れられています。時間的に異なる出来事を同じ画面に描く
画法です。竹で編んだ籠は、ザルのように目が荒く、当然、海底に沈むこと想定して描かれている
ように思われます。
この後、絵巻では詞書をはさんで、翁の案内で竜宮に到着する場面が描かれています。この一連の絵巻の
流れを見ていると、山幸彦が竹籠に入って目を閉じた時点で、現実から別世界、つまり竜宮の場面へと
急転換しているように思えます。
そして、絵師は想像をたくましくして、竜宮の世界を描き出しています。竜王に仕える女官の衣装など、
そこには、同じ絵師が描いたとされる「吉備大臣入唐絵巻」に似た唐風を思わせるシーンがしばしば
登場しています。また、サイや獅子、キリンといった異国の動物も描かれています。
写真 右手 山幸彦の前に現れた翁は竹カゴを置いて山幸彦の話に聞き入っています。
左手 山幸彦は竹カゴの中に下半身まで入れ、目を閉じてます。山幸彦は翁に促がされて、竜宮へ。
異時同図画法 。
「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)絵巻」は彩色された見事な作品。エンピツで模写して、改めて
絵巻の素晴らしさを実感しました。