東海道などの旧街道の宿場の町並みは大体半里ほどとか。
作者は、晩春の鈴鹿の関の宿を訪れて気づいたそうです。
一時はすっかり寂れていた関の宿ですが、
近年の観光ブームで活気を取り戻しているそうです。
「関の小万が亀山通い 月に雪駄が二十五足」と
鈴鹿馬子唄に唄われた関の小万の墓もあります。
小万の父は剣道指南役でしたが、同僚に殺されてしまいます。
身重の妻は、仇を追い関宿まで来ましたが、ここで子供を産み亡くなります。
その子が小万です。
成長した小万は、雨の日も雪の日も亀山に剣術修業に。
そして亀山城大手門前の辻で仇を討ち果たしたと伝えられています。
小万の墓は関の福蔵寺にあり、顕彰碑も建てられているそうです。
関の宿から歩いて30分ほどのところに正法寺山荘跡があるそうです。
伊勢平氏の後裔という関氏が寺と山荘を建て、そのあとが国の史跡に。
連歌師の宗長も、この地で連歌の会を催し、関氏から歓待を受けたとか。
五輪崩れ手水に残る花筏
作者が山荘跡を訪れた時の句だそうです。
五輪は五輪の塔のこと。やはり五輪の塔、といったほうが。
五輪の塔崩れ手水に花筏
なかなか優雅な休日ですね。 遅足