1960年の安保反対運動も次第に鎮静化。
世の中にやるせない、どこか捨て鉢な空気が蔓延。
「・・・このまま死んでしまいたい」という甘い声が、
ウイルスの様に広がっていきました。
西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』です。
本気で死を望んでいる歌ではありませんでした。
死にあこがれている歌でした。
最近、昔の歌を思い出しては唄っています。
リハビリのひとつです。
この歌が引き金になったのでしょうか。
記憶のなかから、こんな一句が浮かび上がってきました。
麗らかや野に死に真似の遊びして
作者は中村 苑子(なかむら そのこ・1913年-2001年)
句集『吟遊』のなかの一句。他に
睡蓮や聞き覚えある水の私語
亡き人の来る夜来ぬ夜の白はちす
『吟遊』は、夫・高柳重信亡き後の1993年に刊行されいています。
急に中村苑子が読みたくなったのは、
わたしにとって「死」が現実となってきたからでしょうね。
世の中にやるせない、どこか捨て鉢な空気が蔓延。
「・・・このまま死んでしまいたい」という甘い声が、
ウイルスの様に広がっていきました。
西田佐知子の『アカシアの雨がやむとき』です。
本気で死を望んでいる歌ではありませんでした。
死にあこがれている歌でした。
最近、昔の歌を思い出しては唄っています。
リハビリのひとつです。
この歌が引き金になったのでしょうか。
記憶のなかから、こんな一句が浮かび上がってきました。
麗らかや野に死に真似の遊びして
作者は中村 苑子(なかむら そのこ・1913年-2001年)
句集『吟遊』のなかの一句。他に
睡蓮や聞き覚えある水の私語
亡き人の来る夜来ぬ夜の白はちす
『吟遊』は、夫・高柳重信亡き後の1993年に刊行されいています。
急に中村苑子が読みたくなったのは、
わたしにとって「死」が現実となってきたからでしょうね。