575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

其角考

2020年07月26日 | Weblog


宝井其角<たからいきかく> 。江戸時代初期の俳諧師。近
江の膳所藩の藩医の長男として生まれています。口語調で
洒落っ気があり謎めいた俳風。そのため、芭蕉十哲の仲間
である去来より侘びや寂びがないと揶揄されています。

交友関係が広く、歌舞伎の二代目市川團十郎、紀伊国屋文
左衛門とも繋がりがあり、師とされる芭蕉のライバルとい
われた井原西鶴とも交際。大阪まで訪れています。

ところで、赤穂浪士の討ち入りの前夜に大高忠男と出会う
という逸話。煤竹売りの大高の哀れな姿を「年の瀬や 水の
流れと 人の身は」と其角が詠みます。大高は「あした待た
るる その宝舟」と返します。この名場面は歌舞伎「松浦の
太鼓」。見栄を切ると大向こうから屋号を呼ぶ掛け声が上
がります。昔は演者の住んでいる地名も掛け声。「音羽屋」
ではなく「紀尾井町」。しかし、ここ数年、聞いたことが
ありません。理由は、意外に現代的で個人情報の保護とか。

実は、大向こうの掛け声をおこなう観客は会員制。彼らは
「木戸御免」といい観劇は無料。常連客により構成されて
いるそうです。この掛け声のタイミングがずれ演者が苦笑。
歌舞伎座が大爆笑となった体験があります。演者と観客が
江戸時代から一緒に作り上げた歌舞伎の面白さといってよ
いでしょう。

話を戻します。とにかく酒好きで人つきあいが広く、涙も
ろい其角。逸話の真偽より、江戸人情芝居の主人公には最
適なキャラクターだったのかもしれません。

其角は日本橋の茅場町に居を構えます。隣家が荻生徂徠の
居宅。江戸名所図会に「梅が香は 隣は荻生 惣右衛門」と
ありますが、徂徠が「蘐園<けんえん>塾」を開塾する前
に其角は亡くなっています。菩提寺の移転に伴い神奈川
の伊勢原に改葬。にぎやかなことが好きだった江戸っ子
の其角らしく、毎年、俳句大会が開催されているとの由。
宝井其角<たからいきかく> 享年47歳。


「夏酔いや 暁ごとの 柄杓水」


文と写真<殿>
コメント (1)
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