575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

蕪村考

2020年07月25日 | Weblog


与謝蕪村。江戸時代中期の俳人で画家としても有名。
画号は「春星」大阪生まれといわれていますが、京都
与謝野町を出身とする女奉公人「げん」と奉公先の主
人との子という話もあり、出自が複雑であったことに
間違いないようです。

蕪村は20歳の時、日本橋石町の「早野巴人」に師事。
師が亡くなった後は、憧れていた芭蕉の足跡を辿り東
北地方の旅に出ます。そして、宿泊費の代わりに描い
た絵により、画家としての技量を磨いていきます。絵
は独学といわれています。

蕪村は、ご紹介してきた、松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ
江戸俳諧の巨匠。沈滞していた俳句に一石を投じまし
た。また、蕪村は俳画の創始者。そのため俳句も写実
的な表現が散見されます。こうした蕪村を世に紹介し
たのは同じ写実派の正岡子規。また、萩原朔太郎の著
作による「郷愁の詩人・与謝蕪村」という出版の影響
も大きいでしょう。

京都に居を構えてからの蕪村は「与謝」と名乗ります。
45歳で結婚し、51歳の時、讃岐に赴き俳人、画家とし
て円熟の域に達し、多くの優れた作品を残しています。
その後、京都に戻り下京区の仏光寺近くの居宅で、俳
句や絵を教える静かな余生を過ごします。蕪村の墓所
は左京区一乗寺にある金福寺。享年68歳。

ところで、大学時代は仏光寺通りでアルバイト。京福
電鉄の一乗寺で暮らしていました。仏光寺通りにある
蕪村終焉の碑。老舗呉服店の前に残存。

「蓮の香や 水をはなるる 茎二寸」<蕪村>

文と写真<殿>


コメント (1)
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