興福寺の阿修羅像。三つの顔と六本の腕を持つ美少年顔の有名な仏像。
その中性的な面立ちで長い手をくねらせて踊るという図でしょうか、
春の雨との相乗効果で妙に艶めいて気になり、いただきました。
今回の兼題、「春の雨」は春に降る雨一般を指しますが、
雨のイメージとしては、古くから感じ分けられて使われていたようです。
例えば「春雨は」、豪雨となることは少ないが、細かい雨滴のしとしとと長く降り続く雨。木の芽を張り、草の芽を伸ばし花を咲かせる雨で、長雨という点では「春霖」「菜種梅雨」もこちらと言えそうです。
対して「春時雨」「春驟雨」はにわかに黒雲が天を多い、時に春雷を伴って降る急雨とありました。明るさがあり春色のときめきが感じられるとも。
春時雨 遺影となりし 叔母の笑み (殿)
蕾打ち 目覚め促す 春驟雨 (紅)
この二句も雨のタイプを感じ分けるとまた深い味わいがあります。
須美さん:目覚め促すが好き
竹葉さん:「打ち」で、ただ雨が当たるのでは無く、開花を促す感じが出ていい
殿さまも、ご自分の句「辛夷揺れ 小さき石拳 揃いけり」の連句のように思われたそうです。
驟雨が打つのだから、きっと硬い蕾なのでしょう。と
しとしとと降るだけではなかなか起きられないですね。驟雨が活きてきます。
さて表題の句に戻ります。
私は仏教にも疎く勝手な見方になるかと思いますが
両性具有にも見える三面六臂の阿修羅が、様々な思いや感情、決意など
相反するものもすべて受け入れて踊っている姿が浮かんできました。それは妖しい?
連日発表される数字に踊らされ、感染予防と経済活動両立のはざまに揺れる連休、
対極にあるものを統合させ、折り合いをつけられるのが日本の文化であるならば、
この国ならではのコロナ禍を乗り越えるヒントも見つけられるのではと、僭越ながら思います。
「お手上げ踊り」とはなりませんように(笑) 郁子