お釈迦さまは生まれてすぐ7歩歩んで天と地を差し「天上天下唯我独尊」とおっしゃったという。
春の星が見ていたかもしれません。いや星が現れたのはキリスト誕生だったか。
竹葉さん: 「天上天下我独」と勇ましい言葉の割に「春の星」とは謙虚そうな人柄の方かしら。。
麗子さん: またたく星は孤独な夜を癒してくれます。星は遥かかなたに無限に存在。宇宙の大きさを思えば悩みも孤独も消えるような気がします。 漢字の多い句ですが、仏教の教えのような達観した境地が伺えます。
お茶句会で、佐保子さんから裏話をうかがいました。
遅足さんは最初、天上天下唯我独尊としていたのだそうですが、字あまりになると感じた奥さまの佐保子さんが、「我ひとり」の方がよいのでは?と提案されたそうです。遅足さんは迷い迷い、独尊か?ひとりか? やっぱり独尊か・・とつぶやきながらデイにお出掛けになったとか。(笑)
ちょっとのことでニュアンスが変わりますね。
我独りですと、毅然とした自我。もしくは寂しさを感じますし
唯我独尊とあればまさにお釈迦様になるので、花まつりの頃の春の星の淡くてぼんやりした星がクローズアップされるような気もします。
これはやはり唯我独尊がいいのかななどと話が弾み、さすが宗匠!その存在感で句座を活気づけてくださいました。
月影を恋ふる浜辺の春の星 郁子の句です。
「実はよくわからなかった」と言いつつとってくださった童子さんに痛いところをつかれました。
目の前に三河湾の広がる宿に泊まった時の句ですが、実は感動したのは星より月明り。波頭を生き物のように浮かび上がらせる幻想的な景を
春の星にからめようと逆に実景に遠ざかる推敲になったことを反省します。素直なこころにポエムは降りてくるのでしょうね。
気づけば、いろいろなしがらみと形にしばられています。
今日はこどもの日です。 郁子