鳴かないものを鳴かせ、鳴かないはずの声を、あたかも聞いたかのように発句する。俳句の本領でしょうね。
それにしても、秀句の多いこと。
たとえば、亀鳴く。
裏がえる亀思うべし鳴けるなり 石川桂郎
五十年待ちたれば亀鳴きにけり 藤田湘子
亀鳴くを聞きたくて長生きをせり 桂信子
そして、蓑虫まで鳴かせてしまいます。
わが子を疎ましく思った父親は、息子に汚い衣を着せて、「秋には戻る、待てよ」と言って逃げました。
子はその言葉を信じて、「ちちよ、ちちよ」と泣きながら待ち続けるという。
蓑虫には父乞虫の名もあるとか。
蓑虫の音を聞きに来よ草の庵 芭蕉
我等の世蓑虫鳴かずなりにけり 加藤楸邨
妻籠に蓑虫の音をきく日かな 石田波郷
(人々の声無きの声を、もっと大切にして欲しいものですが・・・)
それにしても、秀句の多いこと。
たとえば、亀鳴く。
裏がえる亀思うべし鳴けるなり 石川桂郎
五十年待ちたれば亀鳴きにけり 藤田湘子
亀鳴くを聞きたくて長生きをせり 桂信子
そして、蓑虫まで鳴かせてしまいます。
わが子を疎ましく思った父親は、息子に汚い衣を着せて、「秋には戻る、待てよ」と言って逃げました。
子はその言葉を信じて、「ちちよ、ちちよ」と泣きながら待ち続けるという。
蓑虫には父乞虫の名もあるとか。
蓑虫の音を聞きに来よ草の庵 芭蕉
我等の世蓑虫鳴かずなりにけり 加藤楸邨
妻籠に蓑虫の音をきく日かな 石田波郷
(人々の声無きの声を、もっと大切にして欲しいものですが・・・)
考えたんでしょうね?
そういえば芭蕉には音の良い句が
多いという説を読んだことがあります。
閑さや岩にしみいる蝉の声
私の一番好きな句です。
しかも、清少納言の話を踏んでいると知り吃驚しました。
あげられた蓑虫の例句は、いろいろ解釈がふくらみますね。
特に芭蕉の友の来庵を乞う文人の交わりの様子は当時の彼の様子が思い浮かびます。
自分を蓑虫になぞらえて無能無才を誇示しているところは厭味ですが。
確か、リスが「カッコウ」と名づけて自分の子のように育てた鳥がいなくなり、来る日も来る日もその名前を呼び続けて探しているうちに 自分が「カッコウ」という鳥の姿になってしまうという話でした。
私も泣けた古いお話を、高校生の娘に読ませたら、
涙ポロポロこぼしてすごい顔に・・(笑えます)
生意気ですが、まんざらすてたものでもありません。
さっそく大きそうな蓑虫を捕らえて無理やり蓑から引きずり出して、五色の色紙の褥に寝かせた。
しかし待てど暮らせど五色の蓑虫は出来ず。
数匹の幼虫は干からびて死んだ。