575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

宅地化で跡かたもなし猿投窯 ( さなげよう ) 竹中敬一

2019年08月17日 | Weblog



猿投山 ( 標高629m )遠望

愛知県豊田市の北西部に位置しています 。



私が現在、住んでいるところは、愛知県日進市。昭和40年代、ところどころに溜池や

灌木のある荒地を開発して建てられた分譲住宅に入居。途中、東京へ転勤などもあって 、

この土地のことはずっと無関心でいました。


猿投窯 を知ったのも、最近になってからのことです。

猿投 ( さなげ )というのは、尾張北端にそびえる標高629mの猿投山 ( さなげやま )

からとったもの。名古屋市内から東を望むと、低い里山は幾つかあるものの、目ぼしい

山はとなると猿投山ということになります。

私は初めて猿投窯と聞いて、てっきり、陶器を焼いた窯跡がこの山の近くにあるものと

思っていましたが、猿投山の西南方向に広がる広範囲の丘陵地帯に古い窯跡が沢山、

あったことがわかったというのです。

つまり名古屋市東部の東山から日進市、長久手市、東郷町、みよし市、豊田市、刈谷市、

大府市、豊明市、瀬戸市、 尾張旭市にまたがっているのです。

最近、我が家の近くの宅地造成地でもこの猿投窯跡が見つかったというので、早速、

行ってみましたが、残念ながら跡かたもありませんでした。


古墳時代から室町時代初期にかけて1000基を超える窯跡が見つかっているそうです。

愛知県陶磁美術館 ( 瀬戸市 )へ行けば、年代順に猿投窯で焼かれた陶器を見ることが

出来ます。

また、みよし市立歴史民俗資料館では、黒笹地区で見つかった平安時代の窯の復元模型

( トンネル状のアナ窯 )や、灰釉 (雑木を燃やした灰を水に溶かして素焼きに塗って焼く )

などもわかりやすく紹介されています。

また、日進市香具山 ( かぐやま ) には、平安時代初期のアナ窯が天井部を除いて、ほぼ

完全な状態で現存しており、一般公開されていて、私も見学したことがあります。

( 今は日進市役所へ予約が必要のようです )





愛知県日進市香久山の新興住宅地にぽっんと残る猿投窯の遺構 。

長さ7、9m 巾 2、0 m 。天井部を除いて平安時代初期のアナ窯が

ほぼ完全な状態で残されています 。


猿投窯が発見されたのは、そんなに古いことではないのです。

猿投窯は昭和29年 ( 1954 )、猿投山の近くの村がご出身の実業家、本田静雄 (1898〜

1999 ) によって初めて発見されたというのです。

私は古い窯跡から出土した陶器の数々もさることながら、実業家である本田静雄氏が

どうして、古い陶器に興味をいだき、ついに猿投窯の発見に至ったのか、知りたく

なりました。

本田静雄氏は生家の近くの平戸橋に昭和21年に居を構え ました。

平成11年 、102歳で亡くなるまで住まわれた屋敷跡が今は 「 豊田市民芸の森 」として、

平成28年から一般公開されています。

ここへ行けば、本田氏が書き残した自伝や随筆も読むことができるので、このところ

時々、訪れています。

次回はこれらの資料をもとに本田静雄氏と猿投窯についてお伝えします。


尚、猿投窯については、愛知県陶磁美術館 発行の「 知られざる古代の名陶 - 猿投窯

( さなげよう ) 」を参考にしました。   つづく

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« シャワー浴ぶ排水口の呻き声... | トップ | ミニトマトほうばるほほの愛... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
古代の工場団地? (遅足)
2019-08-17 08:40:15
陶器や磁器をつくる技術は高温の火を使います。
これは古代の最先端の技術でした。
今、この地方にはトヨタ自動車の工場がありますが、古代と現代とが最先端の技術でつながっているのでしょうか?

返信する
Unknown (佐保子)
2019-08-17 09:14:04
今たまたま読んでいる名古屋在住の古家シゲの歌集に、「猿投山に窯ぐれの日々を送るとう女(ひと)がつくりし焼締めの花器」というのがありました。焼物のお好きな人のようです。
以前は、西の登り口の流れに、陶土を砕く水車が動いていたのに、もうすっかり廃墟となっていますよね。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事