575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

初蝉や今生の日々始まりぬ  麗子 

2024年08月09日 | Weblog

計測史上に残るこの暑さ、生きものすべて必死で命をつないでいることでしょう。

生きもの二題の紹介です。コメントも読みごたえがあります。

 竹葉さん: 「今生の」から今迄の長い地下の数年間からやっと開放されて、現世の本物の生の始まり感がよく出ていると思いました。

 須美さん: 蝉の今生の日々始まると言うのが面白い。蝉の地上での短く貴重な日々が伝わる。

 晴代さん: 蝉の大切な一日の始まり。今日を大切に(人間も)。

 能登さん: うまい!! 私、羽化後の蝉の短い生を詠みたいと、何度も試みましたがうまくいきませんでした。 「今生の日々始まりぬ」がうまい。

 泉さん:  蝉は土の中に長いこといて、やっと地上に出ても短い、その短い命を大切に一生懸命生きている。

 亜子さん: ◎の句。蝉が土の中で長い年月を過ごしサナギとなって木に登り、脱皮して蝉になる。皮を脱いだばかりの初蝉の数日の日々が始まった。精一杯鳴いて「生を全うする」という祈りのようなものを感じる。

「今生」というのは「この世に生きている間」という意味。重みのある表現で、小さな命にむける作者の温かいまなざしを上手く表しています。

はかない命でも、やはり空を飛びまわってこその「生」ということなのでしょうか

 

 

 ででむしやだんだん手間の身ごしらえ  晴代

 麗子さん:「ででむし」のゆっくりした動きとだんだん手間取る身支度の様子。「でんでん」と「だんだん」の音の組み合わせもうまいと思いました。

 郁子: でんでんむしむし♪ と歌っていた頃が懐かしい。無警戒でゆっくりのんびりの動きが、思うようない動けない自分に重なります。

 千香子さん: 確かに何事につけ手間取るようになりました。

 

   

新見南吉のでんでんむしの悲しみを思い出しました。

生きている限り、悲しみはつきものです。その悲しみを分け合いながら少し笑って受け入れる日々。

一生懸命生きているひとに、たまにはご褒美をあげたいです。

 

 ででむしや今生の悲しみ背負いたり  郁子

 

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1 コメント

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Unknown (麗子)
2024-08-09 19:14:35
蝉が初めて鳴き始めた朝、やや弱々しかった鳴き声。地中で数年過ごし幼虫としてこの世に出て来た蝉の人生というか蝉生が始まったのだな~と思い作りました。鳴き声は日ごとけたたましくなり、またこの頃は静かになって来ました。でんでんむしに悲しみがあるように蝉にもやはり悲しみがある気がします。
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