575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

この句は日本語じゃない。    遅足

2008年08月29日 | Weblog

生前を笑い上戸に葉鶏頭   遅足

先日の句会で、この句は日本語になっていない、という意見がありました。
生前は笑い上戸で葉鶏頭、なら分かる、とのこと。
この意見は、とても良く理解出来ました。
私も俳句を始めた頃に、全く同じ感想を持ったからです。

私も、意見を述べた方も、以前に報道の仕事をしていました。
報道の文章は、意味に、ブレやユレがあってはいけない。
正解はひとつ。正解がふたつもある記事を読まされたら、
読者は混乱してしまいます。

だから俳句には戸惑いました。
俳句は日本語じゃない。まさに名言です。
もうひとつの日本語でつくるのが俳句なんでしょうね。
これが難しいけれども楽しい。
子どもの頃から矯正されて忘れていた自分。
そんな自分を再発見していくようです。
それはどんな自分なのか?

  しづかなる水は沈みて夏の暮  正木ゆう子

  秋風や人行く方に道曲り   上田五千石

今、私にとって気になる句は、こんな句です。
この辺りに自分が失ったものがあるのかな?




 
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2 コメント

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必然的に多義性論。 (朱露)
2008-08-29 17:32:22
俳句は世界最短詩だから、名詞から助詞に至までゴリゴリ多義性を
追求する。この句の場合、助詞の「を」と「に」の関係を話し合う
のが必要なんだと思います。勿論名詞も含めて、だけど・・・
変ですかね?
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Unknown (遅足)
2008-08-29 19:18:14
この「を」と「に」については
別の方からも疑義がありました。

私も、まあ、そうして置こうという感じなので、
この疑義には同感するところがあります。

この場合は、もう少し推敲する必要があると
思っています。

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