湯豆腐句会いかがでしたでしょうか?
湯豆腐そのものを描写した句。湯豆腐から湧き上がってくる思い出や風景。繊細な湯豆腐の表情。そんな俳句が集まった気がします。そんな中見事トップ賞に輝いたのは千香子さんのこの句でした。湯豆腐の土鍋の底のひび割れ。恥ずかしながら「罅」という字を初めて知りました。確かにあみだくじのように梯子模様に見えます。その着眼点に驚きと共感のコメントが集まりました。
能登さん:土鍋の罅をあみだくじと見ましたか。面白い。
晴代さん:「鍋の罅」 使いこなしていますね。 豆腐も一味違いそう、、、。
泉さん:年季が入った鍋での湯豆腐の様子がわかる。
亜子さん:◎の句。土鍋の罅を「あみだくじ」に見立てたところがすばらしい。私も土鍋の罅を詠もうと思ったが詠めなかった。あみだくじは先がわからないからどこか人生に通じるものがある。
佐保子さん、竹葉さんも採られています。
作者の千香子さんからは
「土鍋に入った罅を見て これまでの生活で思いもかけないところで自分の意思とは別のところで、あっちへ行ったりこっちへ来たりしていたかもしれないと 思い返しておりました。あみだくじを引くみたいに。」という一文が添えられていました。
確かに人生はあみだくじのように先は見えません。そんな不安定さも湯豆腐には込められているのかも知れません。
久保田万太郎の有名な
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり
という句にも人生のはかなさが感じられます。死後に見えるかも知れないぼんやりとした薄明り。決して明るい句ではありません。湯豆腐はどこか人生を振り返るしみじみとした鍋料理であることがわかりました。麗子
土鍋のひびも年季が入ると複雑になりますもんね。
最近のテフロンやIHの鍋では味気ないかもしれません。