575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

7月句会の句が揃いました。   遅足

2007年07月18日 | Weblog
題詠「冷奴」

①脇見して袖濡らしけり冷奴
②冷奴男料理となりにけり
③杯進み年金ばなしや冷奴
④冷奴忘れたふりの五十年
⑤旅立ちの前の素麺冷奴
⑥常の日に朗報ひとつ冷奴
⑦白をもて我が身をさらす冷奴
⑧様変わり面変わりして冷奴
⑨二人居て薬味を添えし冷奴
⑩凡庸な味が一番冷奴
⑪青虫に木の芽残して冷奴

  
自由題

①九条のバッジの重み梅雨の晴
②梅雨空へ伸びゆく蔓の高さかな
③一枚の水の表裏にあめんぼう
④手花火や生きたあかしも見つからず
⑤蝉の子の羽化力尽く葉裏かな
⑥嵐去り何処にいたやら蝉の声
⑦熱帯夜猫足だらりと窓にたれ
⑧生えぬ間に抜けと夏草畑の草
⑨蝉しぐれ衣にまとい古都の寺
⑩夏は来ぬ隣りの客は周平読む
⑪いっせいに扇のゆれる幕間かな


台風のあとは地震。多難な日本列島の夏です。
健康こそ庶民の財産。
夏にむかって楽しい句会を。
苦しむ句会かな?

   もうじきの真夏に。







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大待宵草            草女

2007年07月17日 | Weblog
 幼い頃のある夏、父母が矢作川の土手からレモンイエローの大振りの草を持ち帰り、月見草だと教えてくれた。土手にはその草の大群落があった。
 今思えばそれはオオマツヨイグサだろう。アカバナ科マツヨイグサ属の植物。
 竹下夢路が「待てど暮らせど来ぬ人を宵待ち草のやるせなさ」と歌ったことでヨイマチグサになったとも、太宰治が「富士には月見草が好く似合う」と書いたことでツキミソウになったとも言われている。
 実際には稀であるがツキミソウという花弁が白い植物は存在しヨイマチグサという植物は存在しない。
 太宰の月見草はマツヨイグサかオオマツヨイグサであるというのが定説。
 現在この二種類の花を見ることはなかなか難しく、この世を謳歌しているのは、メマツヨイグサかアレチマツヨイグサである。
 もともと日本にはマツヨイグサ属の自生はなく、チリ原産で江戸末期に渡来し
たのはマツヨイグサ。その後北アメリカからオオマツヨイグサやメマツヨイグサ等が続々と渡って来た。
 帰化植物は渡来地で大繁殖し長続きするものと、一時的な大繁殖で終わる物とがある。
 オオマツヨイグサやマツヨイグサは後者のようで、現在なかなかお目にかかれない。
 先日飛騨古川の山中の宿に泊まった朝、展望廊下を渡っていて何気なく下の庭を
見下ろして驚いた。早速カメラを持って飛び出した。中庭の池のそばに一本だけオオマツヨイグサが雨の中、半開きの状態で咲いていたのだ。
 きっと庭師も今や希少種になった事を知っていたのだとレンズを向けて、半世紀以上経った再開を喜んだのである。
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選句の難しさ・楽しさ  遅足

2007年07月17日 | Weblog
選句。
これが意外に難しいのに気づいたのは
俳句をはじめてしばらく経ったころです。

自分の句が一番よい句に見えるのです。
また、どうしても、好き嫌いで選句してしまいます。

現在、心がけているのは2点。

ポイント① 書かれた通りに読む。
案外、早とちりして解釈してしまうことが、あります。
「?」と思う句は、きちんと読むように心がけています。

ポイント② それから鑑賞。ここは自由に。
俳句は17文字。
情報量が少ないから読み手の人生経験などによって
幾通りもの鑑賞が出来ます。
いろいろに楽しんで鑑賞します。

句会では、他の人の鑑賞を聴くのも楽しみです。
自分とは違った読み方があることを教えてもらっています。








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作品の題名       愚足

2007年07月16日 | Weblog
 昭和区平和美術展という展覧会に、孫娘のポートレート写真を展示してもらった。
 四歳になった孫がオーディオのレシーバーに興味を持って耳にあて童謡に聴き入っているスナップ写真である。やたらと撮りまくった写真の中では、その大人っぽい表情が気に入っていて、まあ自信の一枚である。

 出展にあたって作品の題名と作品についてのコメントを四十字で書かねばならない。

 題名   未来が聞こえるよ
 コメント 孫娘が可愛くてしようがない、彼女の未来の為にも平和を守りたい。

と表示してもらった。題名にはそこそこ自信があり満足していた。

 ところが、八十才に近い老人から、「君、<未来が>は余分だね。」との指摘を受けた。
 考えてみれは゛その通りであった。「聞こえるよ」の方がずっと素直で余韻がある。見る人の想像力を狭めないゆとりがある。

 題名は、「俳句」より短く、それだけに余分な言葉が邪魔になる。
 とても言い勉強になった。
 そこで、もう一度「題名」という視点で作品を見直してみたが、ピッタリした題名はなかなか少ないものである。

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段ボール食わせニーハオ蛙のツラ 朱露

2007年07月15日 | Weblog


   季語は蛙。この際そんなことはどうでもいい。
   君は肉マンという段ボールを食ってしまった。
   ダン・ボール・サルトルが知れば何と言うか。
   実存の糞詰まりで「出口なし」と叫ぶだろう。

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胡瓜の花   遅足

2007年07月15日 | Weblog
台風もほぼ通過しました。
我家の庭の胡瓜も辛うじて立っています。

胡瓜はインド原産、西アジアでは3000年も前から栽培されていたそうです。
胡瓜の「胡」は西方ですから、文字通り、西から来た瓜です。
すっかりお馴染みの胡瓜ですが、
日本で広く食べられるようになったのは、戦後。
食生活が洋風化して毎日の食卓に欠かせない食材に。
明治の俳人はこんな句をつくっています。

  胡瓜生節(なまぶし)善き酒ありて俗ならず 正岡子規

  斗酒ありや日暮れて胡瓜刻む音  尾崎紅葉

胡瓜は酒の肴だったようですね。
栄養はほとんどなく、水分が96%。香りと歯ざわりが本領。

  人間吏となるも風流胡瓜の曲るも亦  高浜虚子

今は曲った胡瓜などスーパーに並んでいません。
これを見たら、虚子は、どんな句を作るのでしょうね?

胡瓜の花も夏の季語

  生き得たる四十九年や胡瓜咲く  日野草城

結核で病床にいた草城です。人生50年と言われた時代。
胡瓜揉みも季語にあります。

  鼻歌のきのふと同じ胡瓜もみ  黛まどか

  今日はからそして

私の好きな句

  たしかなにか忘れてゐたるに胡瓜咲く 上田五千石




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長梅雨や昆布茶飲み飲み新聞受け  朱露

2007年07月14日 | Weblog


   妻の入院で覚えた暮らしの簡便スタイル。
   例えば、緑茶は高いし面倒だから昆布茶。
   昆布茶は塩分取り過ぎだし贅沢だ、白湯。
   ここまで来れば白湯から水は自然の流れ。

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荻原教室・近況

2007年07月13日 | Weblog
ご無沙汰しました。3ヶ月ぶりの荻原報告書です。

4月始めに、第2期へと更新されましたが、ますますの人気。題詠の一首を書く白板に補助板が用意されました。

カルチャーと言えば、一般に受講生は熟年者が大方ですが、荻原教室は異色。若い女性から吾が老年までと幅が広く、男性陣も張り切っています。

実作は題詠が原則で、題は火、水、木、銀、土、白、黄、緑、紫、黒と続いて空まで。あとに雨、虹が控えています。

 先生の作品。

   ・ いつも見てゐるはずなのにまひるの黄を容赦なく消したこの赤

   ・ 東京が廃墟と化せど首都になることなき都市の緑に暮らす

   ・ 絵の具の都合でたまたま雲を紫に描いて浮かべたような半生

   ・ 戦争ではないが外では黒いものたちが鳴らしている黒い音

   ・ つゆあけの空を交互にゆびさして雲の名前をよどみなく言う



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オシムの言葉、イチローの言葉   麗

2007年07月12日 | Weblog
今週はこの二人の言葉に注目してみました。

月曜日の夜。サッカーのカタール戦。試合終了間際にフリーキックで
同点にされた直後のオシム監督のインタビュー。
リポーターが「勝ち点3が1に滑り落ちたようにみえましたが。。。」聞くと
監督。怒りの表情で「君はどう思ったのだ?試合を見ていただろう」
と不機嫌に。。これが噂の「オシムの言葉」だと認識しました。
アナウンサー泣かせの監督です。私には八つ当たり気味に思えました。

一方、昨日のオールスターゲームでイチロー選手が
史上初のランニングホームランを放ち見事MVPに。
黒のスーツで颯爽と現れたイチロー選手の会見。いつもより饒舌でしたが
インタビュアーの「次の目標は?」との質問に対して
「べたべたの質問ですね」と皮肉で返す。
アメリカメディアからの今後のマリナーズに対しての質問にも
「そのうちわかるでしょう」とばっさり。木で鼻をくくったような言い方でした。

自分に自信のある人はこういう風に自分の感情をストレートに出せるのでしょうが、
言われた方はたまらないだろうな~と聞き手の私はいつも思います。
イチローファンの朱露さんはイチローの言葉、どう分析されていますか?
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7月句会近づく。投句のお願い。   

2007年07月11日 | Weblog
18日が7月の句会です。
今回の題詠は「冷奴」です。奴豆腐、水豆腐ともいうそうです。

冷奴の「奴」は、武士の下僕、中間(ちゅうげん)のこと。
その中間の使う紋が四角いことから冷奴。
冷たいことをヒヤッコイというから。
などの説があるそうです。

    

冷奴そのものを詠った句。

  北嵯峨の水美しき冷奴  鈴鹿野風呂

冷奴を囲む人間関係を詠み込んだ句。

  もち古りし夫婦の箸や冷奴 久保田万太郎

風景を詠み込んだ句。

  地にひびく雨となりけり冷奴  村越化石

   

さて、皆さんはどんな句を?楽しみです。
締め切りは16日(月)一杯です。
                 
            遅足





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ネズミモチ と トウネズミモチ        草女

2007年07月10日 | Weblog
 七月の初め所用があって千種区の団地へ行った。ここは30~40年前は猪高丘陵の森だったところ。団地の中を観察すると当時からの樹木と思われるものも残っている。
 しかし、生垣の多くはトウネズミモチで丁度花の盛りを迎えつつあった。
 一ヶ月ほど前に来た時に芳香を放っていたのはネズミモチであった。

 どちらも、モクセイ科イボタノキ属の落葉小高木。とてもよく似ている。
 トウネズミモチは、中国原産で明治時代に渡来し、今では大気汚染に強いため都市公園・工場の緑化樹、道路の中央分離帯などに植えられることが多い。
 白い小さな花の形もそれを円錐状につけた花序もよく似ている。しかし ネズミモチの花は白い感じがし、トウネズミモチは淡黄色に感じる。これは。トウネズミモチの雄しべや雌しべが花から突き出しているからだ。また花序全体も、葉も、樹形もトウネズミモチが大型。
 ネズミモチの名前の由来は、果実がネズミの糞に似て、葉がモチノキに似ているからであるが、紫黒色に熟した果実を一見すれば納得するはずである。
 トウネズミモチの実はさらにたわわに稔り、黒色で白し粉をかぶるが、どちらも10~12月に熟す。
 では、花も実も無い時はどう見分けるか?それには葉を陽にかざして透けて見えないのがネズミモチ、見えるものがトウネズミモチ。

 植物を余りにも細かく分け、違いを分類すると、知識に記憶が追いつかず、忘れた悔しさに「ネズミモチはネズミモチ!!」という事になる。
 しかし、それでも「これ ちょっと違うな」と思うととても気になる。
 ちょつと気になる人の参考になればと調べる日々である・

  ねずみもち咲き終日の片曇         福永耕二
  くれがたの雨こまやかなりねずみもち    三宅応人
 
 
 
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線香花火      愚足

2007年07月09日 | Weblog
 テレビを見ていたら、線香花火について話していた。
 
 線香花火には二種類あって、①竹ひごタイブ・・竹ひごの先に火薬が付いている物と ②こよりタイプ・・和紙の中に火薬がより込まれている物とである。

 竹ひごタイプの物の方が古く江戸時代の線香花火の姿を残しているそうである。
 また、その使い方も「香炉」に竹ひごタイプの線香花火を立ててパチパチさせて喜んだという。

 線香花火は短い燃焼が命だが、長持ちさせるには①の竹ひごタイブは上45度に持つと良い。②のこよりタイプは、まず先を軽く捻って締めてから、真下ではなく下45度で楽しむと長持ちするそうである。

 さてさて 手花火の終わる前に俳句を

 手花火を命継ぐ如燃やすなり        石田波郷
 手花火に妹がかひなの照らさるる      山口誓子
 手花火の匂ふ幼の手を洗ふ         伊藤雪女
 留守の子の線香花火をともすらむ      中村汀女
 手花火の庭にまっすぐ父もどる       中村明子
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冷麦と素麺       愚足

2007年07月08日 | Weblog
 今日のお昼も「冷麦」でした。夏場は「冷麦」「素麺」に限ります。
 でも、どちらかと言えば「冷麦派」で素麺は余りに細くてもの足りません。
 
 二つの違いは細さだけなのか調べてみました。(以下東邦ガス食生活Q&Aよ
り)
 この両者の違いは、細い方が素麺、太い方が冷や麦ととらえがちですが、実際には判断のつきかねる太さのものも多く出回っていますし、食べた時の風味も多少違います。
日本農林規格(JAS規格)では、麺の幅で分けており、素麺は30ミリ幅を26~30本に、冷や麦は18~22本に切ったものとしています。ちなみにこれより太いものがうどんとなるわけです。

次に、風味の違いですが、これは主に製法の違いによります。素麺の多くは昔ながらの手延べの方法によって作られています。これは小麦粉に塩水を加えてこね、熟成させながら時間をかけてねじりながら引き延ばし、糸のように細くしていく方法です。のばす時に表面に植物油をまぶすので、出来上がると油気を抜くために一定期間ねかせます。その間に発酵熟成が進み、独特の風味がでるのです。延ばして作るので、グルテンが長く一定方向に繋がっており、コシがあって、のびたりだれたりしにくいのが特長です。

一方、冷や麦のほとんどは、機械製麺法で作られ、小麦粉に塩水を加えてこねた後、ローラーで薄くのばし、それを規格内の太さに切断する製法です。そのため手延べ法に比べコシが弱く、風味にも欠けますが、逆に口当たりが柔らかく、くせが無いとも言えます。しかし、最近は、機械製麺法の素麺、手延べの冷や麦もあり、製法だけで一概には決められません。

どちらもコシとツルツルしたのどごしが肝心です。茹で過ぎは禁物。あと一息かなというころあいに引き揚げるのがおいしく食べるコツです。たっぷりの熱湯で茹で、冷水で手早く、しかも十分に洗って、すぐに食する。これにまさるおいしさはありません。

 長い能書きになりましたが、いずれにせよ夏の食卓には欠かせません。
 小さい頃青とピンクの一筋二筋が忘れられません。

 桃色と青の冷麦隠れけり      ぐ
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浜名湖の夏を斜めにこだま飛ぶ   朱露

2007年07月07日 | Weblog

   遠江引佐細江の澪標吾を頼めてあさましものを
   万葉集の東歌だが意味がサッパリわからない。
   澪標(ミヲツクシ)は水路標識で、細江町標。
   我がこだまは身を尽くして湖畔をブッ飛ばす。

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ででむし出てこい

2007年07月06日 | Weblog
またまた昔々のはなし。

私が6年間通った小学校は東区の葵小。学区の東はずれに住んでいて、うんざりする距離でした。長い通学路の楽しみは、道草。
そのころは、まだ空き地も多く、ほとんどは草っ原で、雑草が茂り、それなりの花も咲かせていました。

今思い出して、なぜか懐かしいのは、カタツムリ。原の中の低木の幹や葉にとまって、学校帰りを待っていてくれたものです。

最近はとんとご無沙汰のカタツムリ。だいぶん以前に、一度、教会の脇の石垣で見たっきり。どこにどう潜んでいるのだろう。


  ・エスさまの恩寵あまねく受ける日か ででむし一対石垣にいる    鳥野
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