575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

5月句会の投句が集まりました。  遅足

2018年05月14日 | Weblog
雨は朝にはやみ、明るい初夏の空です。気持ちの良い風も。
今回の題詠は「夏」です。さまざまな夏の句が集りました。
句会では、どの句が風を一杯うけるのでしょうね?

題詠「夏」
①若きらの胸の谷間の夏めきぬ
②近年の縁なきものに夏痩など
③レコードに傷B面の夏の恋
④夏の夜不慣れなベッドより落ちる
⑤初夏の風の甘きや発情す
⑥掃除機で連休を吸う立夏かな
⑦夏めくや修道院のマリア像
⑧夏立つや書店の棚の素十句集
⑨赤子泣き命をつなぐ夏木立
⑩金看板幾世(イクヨ)洗ひし夏嵐
⑪軒下の鉢植え野菜夏に入る
⑫夏の風邪同情引かぬ悪寒かな
⑬夏向きの頭に刈られ新僧侶

自由題
①柳絮飛ぶ半分青い空を埋め
②あさがおや卯立目指して出来不出来
③桐の花祖父の読みいし和綴本
④家族待ち父渾身の胡瓜もみ
⑤命日の新茶一滴墓参り
⑥若葉寒ホーム入所の初日かな
⑦衣更すれ違い人香を残し
⑧夏帽子入ってみたい猫二匹
⑨咳き込みつ煙火吸う漢(ひと)梅雨深し
⑩お隣は三人姉妹さくらんぼ
⑪二輪車の子のヘルメット若葉道
⑫恋破れ新樹の夜の雨を聞く
⑬孫と子の柱の傷や柏餅

句会は16日午後1時20分から、場所は名古屋栄のYWCAです。

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晩春の夢から覚める豆腐売り  郁子

2018年05月13日 | Weblog

春眠暁を覚えず。お布団のなかで夢心地。
お豆腐を売りに来る声で目が覚めました。
晩春にみていた夢とはどんな夢だったのでしょうね。

こんな言い方もあると思います。

  夢のなかから豆腐売り

こうすると夢のなかで見ていたお豆腐売りが、
そのままこの世に現れたようです。

目が覚めてからもはっきり覚えている夢。
目覚めるとすっかり忘れてしまう夢。
どちらも興味深いですが、
夢が無かったら人生、面白さが半減しますね。

                  遅足
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晩春や暮れの吐息がこぼれゆく  麗子

2018年05月12日 | Weblog

この吐息は、ため息でなく充実感のこもった吐息だったのでしょう。と、えみさん。
充実した一日を過ごした晩春の暮れ。そんな感じでしょうか。

春の終り。しかも夕方。吐息が自然にこぼれそうです。
プレバト風に批評すれば、「暮れ」と「こぼれゆく」は必要条件ではないでしょうね。

自分の句ですと甘くなるので、他の人の吐息に。こぼれゆく、は止めてみます。
お母さんの介護に帰っているとお聞きして・・・。

  晩春や眠れる母に吐息あり

                       遅足

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若狭の海幸山幸物語⑫~釣り針を抜く~竹中敬一

2018年05月11日 | Weblog

一人の翁の案内で竜宮に着いた山幸彦は、そこで海神の娘トヨタマヒメと結婚、
暮らしていましたが、ある日、兄の海幸彦から借りた釣り針をなくしたことを
思い出して、大きなため息をつきました。これに気づいたトヨタマヒメは、
心配になって父の竜王にその経緯を語りました。
このことを聞いた竜王は、直ちに海の魚を集めて、釣り針の行方を探し始める
という場面をここでは取り上げてみます。

この場面は「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)絵巻」(明通寺 蔵) にも
異時同図画法を取り入れて 、劇的に描かれています。この絵巻は平安時代末期
(12世紀後半)に描かれましたが、江戸時代に消失。若狭小浜藩主 酒井忠勝の命で
模写されたものです。
場面は竜宮の前庭、サザエの形をした冠姿の男が、"喉を腫らしている男を連れて
来ました"と竜王に告げています。続いて、魚形の冠に唐風の衣装を身につけた男が、
赤ら顔の太った男を竜王の前に差し出しています。
(「古事記」「日本書紀」では 赤鯛となっており、その赤鯛の喉を探ると、はたして
針があったので取り出したと簡単な記述になっています。)
更に、向かって、左から右へ、同じ登場人物が三つの場面で時の経緯を超えて同時に
描かれています。ここでも異時同図画法です。太った男のアゴを触っているのは、
どうやら医者のようです。
次に 片肌脱いだその医者が太った男の上半身を裸にさせ、ペンチのような金火箸
(かなひばし)で ノドに刺さっている針をはさんで、力任せに引き抜いています。
見るからに痛そう。
この場面のすぐ右側では、釣り針をやっと抜いてもらって、地面にしゃがみ込む
太った男の姿があります。口から血を吹き出しています。

この絵巻の場面はどう見ても、若狭彦姫神社に伝わる「秘密縁起」の記述を参考にして
描かれた としか言いようがないと私は思っています。その「秘密縁起」の記述を
小松茂美(古筆字学者)が文語訳したものを、更に、私なりに現代文にしてみました。
「竜王が海にいる魚どもに"誰か釣り針を口にしているものはいないか"と尋ねられた。
すると、しばらくして、一匹の魚が " そのような者がいます"と言って、仲間を館に
連れて来た。竜王が庭を見ると、赤みがかった顔の太った男が喉を腫らして召し出され
ていた。医者(くすし)を呼んで、男の喉を探らせると、案の定、針が刺さっていた。
竜王は直ちに、医者に針を抜くよう命じた。
医者は鉄(くろがね)の箸で針を抜きにかかった。この男は苦痛悩乱して暴れるので、
皆んなして、男の腰、膝を押さえたり、頭の周りやあちこちを動かないようにして、
やっと、件の針を抜くことができた。この針を竜王に差し出し、点検すると矢張り、
尋ねていた針であった。」

この場面からだけでも、私が「秘密縁起」の記述をもとにして、平安時代末期、
「彦火火出見尊絵巻」が描かれとする一つの証拠だと思っています。


写真は、福井県小浜市の明通寺に伝わる「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)絵巻」を
筆者がエンピツで模写。
場面は竜宮の前庭。向かって左手。サザエの冠を被った男が竜王に喉を腫らした男を
連れて来たと告げている。
左から右へ。魚の冠に唐風の衣装の男が赤ら顔の太った男を竜王の前に差し出している。
更に、右へ。片肌脱いで、歯医者らしい男がペンチのようなもので、赤ら顔の太った
男の喉に刺さった針を力任せに引き抜く。(異時同図画法)

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母の涙    麗

2018年05月10日 | Weblog
今度の日曜日は母の日です。

85歳の母は昨日、2ヶ月以上の入院生活を終え、なんとか退院。そのままパジャマ姿で病院に併設されている老人福祉施設に入りました。
病室と違って明るく広い部屋で、同室の人も優しく安心しました。
以前、この老健には、デイケアでお風呂には入れてもらっていたのでスタッフの方も母のことを覚えてくれていました。

施設の部屋で落ち着いた頃、母が「お父さんにご飯を作ってあげられなくて悲しい。。」と言って少し泣きました。それを見た父もなんとも言えない悲しそうな表情をしていました。

車いすに乗った母。小さく痩せてしまいました。
それでも、別れ際、私と父がエレベーターに乗り込む時、ずっと手を振ってくれました。
父が選んで持って行った藤色のカーディガンがよく似合っていました。

母の日には会えないけれどまた会いにいくからね!お母さん。
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古街道半里を守る晩き春    結宇

2018年05月09日 | Weblog

東海道などの旧街道の宿場の町並みは大体半里ほどとか。
作者は、晩春の鈴鹿の関の宿を訪れて気づいたそうです。

一時はすっかり寂れていた関の宿ですが、
近年の観光ブームで活気を取り戻しているそうです。

「関の小万が亀山通い 月に雪駄が二十五足」と
鈴鹿馬子唄に唄われた関の小万の墓もあります。
小万の父は剣道指南役でしたが、同僚に殺されてしまいます。
身重の妻は、仇を追い関宿まで来ましたが、ここで子供を産み亡くなります。
その子が小万です。
成長した小万は、雨の日も雪の日も亀山に剣術修業に。
そして亀山城大手門前の辻で仇を討ち果たしたと伝えられています。
小万の墓は関の福蔵寺にあり、顕彰碑も建てられているそうです。

関の宿から歩いて30分ほどのところに正法寺山荘跡があるそうです。
伊勢平氏の後裔という関氏が寺と山荘を建て、そのあとが国の史跡に。
連歌師の宗長も、この地で連歌の会を催し、関氏から歓待を受けたとか。

  五輪崩れ手水に残る花筏

作者が山荘跡を訪れた時の句だそうです。
五輪は五輪の塔のこと。やはり五輪の塔、といったほうが。

  五輪の塔崩れ手水に花筏

なかなか優雅な休日ですね。     遅足



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晩春のカップラーメンに湯を注ぐ  能登

2018年05月08日 | Weblog

春も終わり。穏やかな午後のひと時。
ちょっとお腹がすいてきました。
カップラーメンが残っているのを思い出して・・・
晩春と食欲での一句。
ゆったりとした時間が過ぎていきます。
カップラーメンが好きなんですね。

作者は題詠を「春愁」だと思っていたそうです。
従ってこの句のもとの姿は

  春愁のカップラーメンに湯を注ぐ

この句も良いですね。

あるいは夜食でしょうか?晩春の夜食ですね。
なお、夜食だけですと秋の季語になります。

                遅足














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5月句会ちかづく。

2018年05月07日 | Weblog
今回の題詠は「夏」です。
「夏」だけでもOKですが、「夏」のつく季語もOK。

歳時記を開くと一杯ありました。
時候では立夏、初夏、夏至、夏の朝・・・
天文では夏の日、夏の空、夏の星・・・
地理に夏の潮、夏野、夏の川・・・
人事に夏服、夏帽子、夏料理・・・
宗教にもあります。夏安居、夏に籠って修行することだそうです。
動物は夏の虫、夏の蝶など。
植物を見ると夏木立、夏蜜柑、夏柳・・・

あまり多くて選ぶのに一苦労です。
でも5月のふさわしい季語は、そんなに多くはないと思います。
子どもの日は「立夏」でした。
山開きも早いところでは5月に。「夏の山」なども。

                       遅足



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晩春や磯の水鳥身じろがず  等

2018年05月06日 | Weblog

晩春という季語と、冬の季語である水鳥。
この二つの取り合わせの句です。
上五の「晩春や」によって春の句となっています。
写生のしっかりした句です。

「身じろがず」という表現はどうなのか?
晩春の長閑な空気と合わないのでは?という感想も。
「水鳥」は出来たら避けたほうが良いと思います。

 晩春や水に動かぬ鳥の影

ちょっと作者の意図とはずれているかも・・・

           

ようやく我が家のリフォームが終わりました。
予定より10日ほど遅かったです。
不便な生活にも終止符を打つことが出来ました。
段差のないのは歩きやすいのですが、
身体のほうが段差を覚えており、
慣れるまでしばらく時間がかかりそうです。

                 遅足
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晩春のヘリの音激し白い空  すみ

2018年05月05日 | Weblog

事件があったのでしょうか?
上空をヘリコプターが飛び交っています。
のどかな晩春の空をかき乱しているようです。
下五の「白い空」は、空が掻きまわされて
白く濁ってしまったのでしょうか?

こんな風な言い方もあります。

  晩春の空掻きまわすヘリの音

         

今日は子どもの日。
甍の波に泳ぐ鯉のぼりといった風景は見られなくなりました。
その代わりに、我が家の近くにある老人ホームに鯉のぼりが。
元気に風に泳いでいます。
もう100年も経ったら、どんな風景が見られるのでしょう?

  青空をつけて売り出す鯉幟  遅足


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若狭の海幸山幸物語⑪~山幸彦の乗り物 談義~竹中敬一

2018年05月04日 | Weblog

「日本書紀」「古事記」更に福井県小浜市の若狭彦姫神社に伝わる「秘密縁起」の中に出てくる
山幸彦が翁の案内で竜宮へ向かうシーン。山幸彦の乗り物が水平に進んだのか、それとも海底に
垂直に沈んだのか。

まず、本居宣長の「古事記伝」によりますと、江戸時代の学説では、竜宮について "海底には
あるはずがない"というのが主流だったようです。具体的には薩摩の国(鹿児島)の近くの一つ嶋、
又は琉球、対馬などが挙げられています。

この場合、山幸彦を乗せた小船は水平に進んだことになります。しかし、本居宣長はこれらの説は
すべて誤りであるとしています。「日本書紀」「古事記」をよく読めば、竜宮は 海底にあるに
決まっていると断言しています。

どちらでもよさそうですが、神話学者の村松武雄は、その著「日本神話の研究」(培風館 昭和30年刊)
の中で、次のように言っています。
「水平的な進行と垂直的な沈下と、いずれが原義であろうか。この問題が神話に於ける或る一つの
話根の真義を把握する上に、決定的な関係を有してゐるのである。」そして、村松武雄はギリシャ
神話の例などをあげながら、海神のすみか、つまり、竜宮は海底にあり、従って、尊(山幸彦)が
乗った籠は、垂直に沈んだとしています。
また、村松氏は、国文学者の折口信夫(おりぐち しのぶ)が、問題の籠について神への供物を納める
容器で、神霊が乗り移ったものだ、とする説を紹介した上で「籠に入ったまま尊(山幸彦)が海底に
沈んだというこの説話には一種の"神 天降り"の信仰が根底にあった。」としています。

この辺りで、神話学には全く疎い私の理解の範囲を超えてきましたので、再び、福井県小浜市の明通寺に
伝わる「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)絵巻」(江戸時代の模写) の世界に戻ることにします。

平安時代末期(12世紀後半)、常盤光長という絵師はどんな思いで、海幸山幸の神話を描いたのでしょうか。
竹の籠を肩に懸けて、山幸彦の前に現れた翁は、その籠をおいて、山幸彦の話に聞き入っています。
その同じ画面の向かって左隣りでは、山幸彦は籠の中に下半身まで入れ、目を閉じています。この時代の
絵巻物によく見られる異時同図画法が取り入れられています。時間的に異なる出来事を同じ画面に描く
画法です。竹で編んだ籠は、ザルのように目が荒く、当然、海底に沈むこと想定して描かれている
ように思われます。

この後、絵巻では詞書をはさんで、翁の案内で竜宮に到着する場面が描かれています。この一連の絵巻の
流れを見ていると、山幸彦が竹籠に入って目を閉じた時点で、現実から別世界、つまり竜宮の場面へと
急転換しているように思えます。
そして、絵師は想像をたくましくして、竜宮の世界を描き出しています。竜王に仕える女官の衣装など、
そこには、同じ絵師が描いたとされる「吉備大臣入唐絵巻」に似た唐風を思わせるシーンがしばしば
登場しています。また、サイや獅子、キリンといった異国の動物も描かれています。


写真 右手 山幸彦の前に現れた翁は竹カゴを置いて山幸彦の話に聞き入っています。
左手 山幸彦は竹カゴの中に下半身まで入れ、目を閉じてます。山幸彦は翁に促がされて、竜宮へ。
異時同図画法 。
「彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)絵巻」は彩色された見事な作品。エンピツで模写して、改めて
絵巻の素晴らしさを実感しました。
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長いお別れ   麗

2018年05月03日 | Weblog
GWいかがお過ごしですか?
私は本を一冊読みました。

中島京子の「長いお別れ」。元中学校校長の認知症の父をめぐる10年の家族の物語。老々介護をする母。娘三人のそれぞれの生活と葛藤。

切なくも介護現場で必ず見られる笑いがちりばめられた介護小説です。
二人住まいの老夫婦に訪れるさまざまな問題。娘たちは海外に住んでいたり、仕事第一であまり頼りになりません。身につまされます。
でもなぜか救われるラストです。
「長いお別れ」の意味も解ります。

私も実家の90歳の父と85歳の母の様子と照らし合わせて読みました。
2ヶ月入院していた母は、来週から施設に入ることになりました。圧迫骨折の父は一人淋しそうですが、兄嫁につきそわれ車いすで見舞いに行きます。母があんなに嫌がっていた施設入所を「楽しみだわ~」と言っていることに救われます。
父も丸三年の介護生活。本当によくやったと思います。

いろんなことを考えさせられた、でも読後感が爽快な一冊です。
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春の剥落  遅足

2018年05月02日 | Weblog

 読本ノ「サイタサクラ」ガ散リマシタ 「アカイアカアアサヒ」ガノボル
 象さんはお腹がへってもガマンです配給制度始まる四月
 満鉄へ華北交通へ大陸へ卒業生はすべて売り切れ
 中学に合格西川良輔君 二十六歳傷痍軍人
 ぽろぽろとセピアの父をこぼしゆく切り抜き帳に春の剥落

この5首連作は、以前ブログで紹介したものをまとめたものです。
心の花名古屋歌会に提出。小島ゆかり先生の選の2席に入りました。

五首であることに意味がある。また五首であるから良く分かる。
事実を並べているだけのようであるが、最後の一首を推敲すると良い歌に。
と言われて、最後の歌について次のようなサジェスチョンを。

☆「セピアの父」は常套句。
☆「こぼしゆく」の主語は作者なのか?曖昧。
☆切り抜き帳に、の「に」は適切か?
☆「剥落」は自然に剥がれてゆくこと。「こぼしゆく」は不自然。
という指摘をうけました。

 手に取ればぽろぽろこぼれてゆく父の切り抜き帳の春の剥落

と変えてみました。

歌会の翌日は、蒲郡市であった藤原俊成短歌大会での講演を聞きに。
テレビで拝見した印象より小柄な方でしたが、元気も笑顔いっぱい。
チャーミングな女性でした。

(父は新聞記者でした。これは昭和16年の父の切り抜き帳を詠んだ五首です。)




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晩春の売り場の帽子恋を待つ   遅足

2018年05月01日 | Weblog

☆今頃の季節、帽子を買う人が多いとか、
 “恋を待つ”が良いですね。(等さん)
☆帽子には恋が似合う。(能登さん)
☆春らしく、若い方の求める帽子なのかな?
 その先の恋の予感も。(結宇さん)

亜子さんは、夏を前に白い帽子を買ったそうです。
紫外線から肌を守る目的もあります。
しかし、それとともに無意識のうちですが、
夏のときめきを待っている自分に気づかれたとか。
恋は年齢に関係ないんですよね。
いや、恋を忘れない間が青春なんですね。

           
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