575の会

名古屋にある575の会という俳句のグループ。
身辺のささやかな呟きなども。

9月句会が近づきました。   遅足

2018年09月12日 | Weblog

台風21号の襲来、北海道を襲った震度7の地震。
立て続けに大きな災害が日本を襲いました。
前回の句会は、随分前のように感じられます。

そして、知らぬ間に朝夕の気温が低く肌寒くなりました。
季節は秋ですね。今回の題詠は「栗」です。

我が家では、昨夕「栗ご飯」をいただきました。
栗饅頭や栗きんとんは季語でしょうか?
千香子さんが調べてくださいました。

「カラー図説日本大歳時記・座右版」によれば、
栗は、晩秋の季語。
栗きんとん。栗羊羹。栗饅頭。栗林。焼栗。
虚栗。ゆで栗。丹波栗。柴栗。ささ栗。
山栗。栗飯。いが栗。かちぐり作る。打栗作る。
落栗。一つ栗。三つ栗.笑栗。栗山。
出落栗。マロングラッセ。栗かのこ、と計23の季語が。

出落栗はデオチグリ。自然に落ちた栗。
テテウチグリと読むと丹波栗の別名。
一つ栗はいがのなかの栗が一つ。また、お菓子の名でも。
三つ栗は、いがの中にある三つの栗の実の中央のもの。
また「なか」にかかる枕詞だそうです。三つ栗のなか・・・と。
笑栗(えみぐり)の楽しい季語ですね。

さて、どの季語を選ぼうか?と迷うほどです。
勉強になりました。ありがとうございました。

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恐竜の深き眼に星流る   郁子

2018年09月11日 | Weblog

太古の昔、恐竜も流れ星を見ていたという発想が面白い、
とすみさん。
絶滅した恐竜とそのころの流れ星でしょうか?
それを見る今との対比を感じます、と結宇さん。

地球上を支配するほど繁栄していたのに絶滅してしまった恐竜。
巨大隕石の衝突が原因という説が有力です。
人間が考えるより知能が発達していた彼ら。
夜空を流れる星を見上げて、何かを感じ取っていたのでは?

地球もいま、最期を迎えようとしている、という危機感が漂っています。
恐竜という言葉の持っているイメージを充分に生かした一句。

   恐竜の瞳に数多なる星流れたり絶滅前夜  遅足


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孫の手の一期一会や流星群   能登

2018年09月10日 | Weblog

孫の手を握って流星群を見あげている。
天空の流れ星との邂逅。そして地上では孫との出会い。
一期一会に、出会いを大切にしたいという気持ちがでています、
と結宇さん。

作者からも。
祖父と孫が手をつなぎ、流星群を見ている図です。
祖父と孫の出会いが一期一会、流星群との出会いが一期一会、
悠久の宇宙と一瞬の人間の出会いが一期一会、と感じました。

私は、祖父から孫へ、という血のつながりを強く感じました。
命が途切れることなく続く。DNAの不思議。
何故か二人の前には海があるように感じられます。
いのちを産み出したのが海だったからでしょうか?
あるいは、作者の名前からの連想かも・・・    遅足
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満天の星また一つ流れけり  等

2018年09月09日 | Weblog

満天にいったい幾つの星があるのでしょう。
無数の星のなかの一つが流れました。
流れた星は命を終えたのでしょう。
そして、またひとつ。

私達人間もふくめて命あるものは必ず死を迎えます。
この生の一回性が、いのちをかけがえのないものと
感じさせるのでしょうか?
とても良い句です。

          

ちょっと蛇足を。
この句、これでOKという人と、なにか足らないと感ずる人に
分かれるのではないでしょうか?
足らないと思う人は短歌に向いているのかも知れません。
そう思う方は七七をつけて見てください。
難しいですよ。             遅足


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「さよならテレビ」を見て・・・  遅足

2018年09月08日 | Weblog

先日、「さよならテレビ」というドキュメンタリーを見ました。
名古屋のテレビ局の報道部の一年を追った番組です。

突然の取材に驚き、戸惑い、怒るデスクや部員たち。
そんなシーンから始まり、やがて3人を軸に番組は進んでいきました。

残業の多いことが社会問題となり、新しく入社した契約社員のWさん。
視聴率4位の汚名をそそぐために活躍が期待されるキャスター。
そして地元経済紙から転職してきたベテラン記者。

Wさんは経験も浅いことから取材もうまくいきません。
インタビューをした取材相手とのトラブルからOA直前の放送中止も。

キャスターのFさん。個性を押し出すことが求められていますが、
なかなか決められたセリフを出ることが出来ません。

ジャーナリストを志すベテラン記者は、共謀罪で起訴された人を取材。
権力の暴走をチェックする内容のレポートをOAします。
見出しには「テロ等準備罪」とあり「共謀罪」の文字はありませんでした。

そして一年後、視聴率は低迷したまま、キャスターは交代。
Wさんも契約を打ち切られて退社していきます。
ベテラン記者は番組のディレクターに問いかけます。
「テレビの描く現実って何ですか?」

これまでテレビカメラが紹介したことのない自分たちの職場。
飾ることなく淡々と描かれており、興味深く見ました。
番組のタイトルは「さよならテレビ」です。どういう意味でしょう?

「会社員なんだ」番組の中での報道部長の言葉。
番組を支配しているのはこの言葉でした。
「テレビ」という言葉には夢のあった時代があります。
今は誰も夢を託すこともありません。
そこで働く人たちのこころはテレビを離れてしまっている。
それが「さよならテレビ」というタイトルの意味でしょうか?

キャスターが交代を告げられたあと、ふっと肩の力が抜けて
個性を表現できるようになるシーンはとても印象的でした。
いったい何が彼を縛っていたのでしょう。

会社員であり、放送人であるという矛盾をまるごと抱えて生きる。
そんなキャスターに育って欲しいと思います。

            

ちょっと演劇のPRを。
あの「十二人の怒れる男たち」が名古屋・栄のアートピアホールで。
日時は、9月20日午後7時・21日午後1時半・22日午後2時から。
問い合わせは名古屋演劇鑑賞会(名演)まで。
☎052-932-3739です。



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えみたまふ即身仏も秋の風   遅足

2018年09月07日 | Weblog

日本国内には十七体の即身仏が現存すると言われています。
一体は岐阜県の横蔵寺にあり、参拝したことがあります。
六体が修験道の盛んだった山形県庄内地方に残されているそうです。

湯殿山大日坊には真如海上人の即身仏が安置されていました。
上人は、苦しむ衆生を救うため、千日行、五穀断ち十穀断ちの
木食行などの苦行を行いました。そして最後に土の中で入定。
96歳だったそうです。1786年のことでした。
6年ごとに衣更えが行われているそうです。
美しい衣装に身を包んだ上人は微笑んでいるように見えました。

台風21号のあとに、北海道の地震と天変地異のつづく日本。
多くの人々を悲しませ、苦しませています。
そんな人々の苦しみを救おうと即身仏に。
上人はどんな思いで、この世を見ていらっしゃるのでしょう?

即身仏は明治政府によって禁止されました。
写真は、大日坊の仁王門。鎌倉時代の創建だそうです。

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大分への旅   麗

2018年09月06日 | Weblog
台風、地震と大災害の中、夫と大分におりました。更新遅くなり申し訳ありません。

この写真は大分県佐伯市にある「歴史と文学の道」です。佐伯藩2万石の城下町の面影が今も残っています。明治時代には国木田独歩が下宿していたそうで記念館になっています。実はこの近くに父方のお墓があります。

曾祖父の時代に大分から大阪に出てきましたが、先祖のお墓はまだ大分にあるのです。
戦争中に曾祖父が亡くなり、納骨のため大阪から祖父母は汽車で九州へ。戦時中のこと、苦労して大阪に帰ってきた次の日、空襲で祖父母の家は焼けてしまいました。この話は何度も父から聞かされました。

今でも佐伯市は大分空港から車で約2時間かかります。昔はどんなに遠く大変な旅だったことでしょう。
父はこの夏、佐伯市の業者にお墓のお掃除をしてもらう契約をしました。
高齢になりお墓にも行けなくなってしまったからです。いずれは両親もここに眠ることになります。
今は墓じまいが流行りつつありますが、お墓を通して自分のルーツへの旅もできるので、お墓参りに行くとなぜか心が安らぎます。お墓参りのあとの新鮮なお寿司と別府の温泉も魅力のひとつです。


          空澄みて白壁残る城下町   麗

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台風21号による被害はありませんでしたか?  遅足

2018年09月05日 | Weblog
台風21号が去った名古屋は青空も見えてきました。
昨日は、歯科の予約がありましたが、キャンセルして
一日中、家に閉じこもっていました。

この21号、関西地方に大きな被害をのこしています。
高潮で関西空港の滑走路が冠水、連絡道路も船の衝突で破損。
3000人以上が一晩、缶詰状態に。
風による被害も大きく、トラックが横転したり、亡くなった方も。
被害に遭われた方々にこころからお見舞い申し上げます。

庭のハーブの花には、いつものように花蜂が飛んできています。
人間も美味しいものを食べて元気を出しましょう。


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くちなわのねがうことある湯殿かな   遅足

2018年09月04日 | Weblog

芭蕉は月山から山道を湯殿山へ。私も車で湯殿山へ。
駐車場には、大きな赤い鳥居がありました。
ここからはシャトルバスで湯殿山神社へ。
およそ10分で到着。
社殿など建物はまったくありません。登山口のような感じです。
湯殿山は神であり、人工的な建物をつくることは禁じられてきたといいます。
太古の信仰のあり方をそのまま残している珍しいケースです。

お祓いをうけた後、紙人形に身の穢れ移して流します。
参拝は裸足になります。
「御神体は右回りです」と係の人の声に従って進むと・・・
足元が暖かい。場所によっては熱いくらいです。
御神体は赤い巨岩。ここからお湯が湧きだしています。
命を産みだす女性の神秘に喩えられてきたとのこと。
動くものがあるので見ると、赤い岩の上に青大将が。
蛇も参拝にやって来るのでしょうか。

芭蕉はこう記しています。

そうじてこの山中の微細(みさい)、行者の法式として他言することを禁ず。
よりて筆をとどめて記さず。

  語られぬ湯殿にぬらす袂かな 

  湯殿山銭ふむ道の泪かな 曽良

写真は駐車場にある大鳥居。ここに斎藤茂吉の歌碑が。

  わが父も母もいまさぬ頃よりぞ湯殿の山に湯はわき給ふ

昭和3年の夏に茂吉は湯殿山に登っているそうです。

                

台風21号が接近しています。伊勢湾台風クラスです。
いまは雨こそ降っていませんが、強い風が吹きはじめました。
私は歯医者さんをキャンセルしました。
これから夜まで厳重な注意が必要です。みなさんも気を付けて。





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中日歌壇ですよ

2018年09月03日 | Weblog
もう常連さんとなりました。宗匠の一首
台風のもたらす湿った風を忘れて清涼な気分にさせてくれました。


   初秋の霧閉ざしゆく摩周湖へ今宵は星が水浴びにくる


島田修三選  
{評}
  夏にもしばしば霧の出る摩周湖。神秘的なイメージを持つ
  北の湖を幻想的に描いた。

霧の摩周湖に夜、星が水浴びにくるなんて
少女の発想のようです!びっくり!そして素敵!
おめでとうございます。郁子


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月山よりあの世の秋の風来り此の世の赤き風車まわす

2018年09月02日 | Weblog

出羽三山は、それぞれに観音菩薩・阿弥陀如来・大日如来を祀り、
羽黒山は現世利益をかなえる「現在の世を表す山」
月山は「過去の世界を表す山」、そして湯殿山は「未来を表す山」であり、
三山をめぐれば「生れ変る」と考えられてきたそうです。

三山のなかで一番高いのが月山。標高1984メートル。
芭蕉は羽黒山から月山へ向かいました。

八日、月山(がっさん)にのぼる。
木綿しめ身に引きかけ、宝冠に頭を包、強力といふものに道びかれて、
雲霧山気の中に氷雪を踏てのぼること八里、
さらに日月(じつげつ)行道の雲関に入るかとあやしまれ、
息絶、身こごえて頂上にいたれば、日没て月顕る。
・・・

  雲の峯幾つ崩れて月の山

苦労して歩いた芭蕉。その道を今は八合目まで車で。
そこには御田ケ原(みだがはら)と呼ばれる湿原があります。
ミヤマリンドウなどの高山植物が咲いていました。

中之宮・御田原神社の周りの草の中にはお地蔵さんや石塔が。
この世とあの世の境界に立っているようです。
雨こそ降って来ませんでしたが、霧が立ち込め神秘的な景色でした。
散策はあきらめてしばらく霧の中に佇んでいました。
もうすっかり秋、そこまで冬が来ているようでした。(遅足)



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二千四百四十六の石段を登って始まる秋の峰入り  遅足

2018年09月01日 | Weblog

出羽三山の一つ羽黒山。山形県鶴岡市にある標高400m余りの山。
芭蕉は奥の細道のなかで次のように紹介しています。

六月三日、羽黒山(はぐろさん)に登る。・・・
当山開闢(かいびゃく)能除大師(のうじょだいし)は
いづれの代の人といふことをしらず。
延喜式「羽州(うしゅう)里山(さとやま)の神社」とあり。
書写(しょしゃ)、「黒」の字を「里山」となせるにや。
「羽州(うしゅう)黒山(くろやま)」を中略して
「羽黒山(はぐろさん)」といふにや。・・・
月山(がっさん)・湯殿(ゆどの)を合わせて三山とす。

出羽三山は芭蕉の時代には修験道の道場として栄えました。
羽黒山の麓には360軒もの宿坊が軒を連ねていたそうです。
いまでも30軒ほどのが営業を続けており、
その一軒、奥井坊で精進料理の昼食をいただきました。

元気な人は山門から2446段の石段を登って山頂へ。
三河の鳳来寺山は1425段ですから、倍近い長さです。
山頂の三神合祭殿には、羽黒山、月山、湯殿山の祭神も祀られ、
雪深い冬には、三山の神様が一度に参拝できるそうです。

私は車で頂上へ。
羽黒山は明治の廃仏毀釈にもかかわらずお寺の面影を残しており、
鐘楼や五重塔が健在でした。
なかでも最も古い国宝の羽黒山五重塔は特別に公開され、
心柱などを見ることが出来ました。

羽黒山では、今も生きた修験道のお山で、8月26日から一週間、
秋の峰入りという厳しい修業が今日まで行われることに。
雨の中、大変なことだと思います。

  涼しさやほの三か月の羽黒山  芭蕉

写真は国宝の五重塔です。

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