古事記では、天地を開闢した伊邪那岐<いざなぎ>の妻である伊邪那美命<いざなみ>が死去。伊邪那岐は黄泉の国まで伊邪那美命を探し求めます。しかし、伊邪那美命は激怒。伊邪那岐は離縁して逃げ出します。その追っ手が「雷神」だったと伝えられています。ちなみに、女性神の伊邪那美命<いざなみ>は「誘う」<いざなう>の語源。いまでいう薔薇色の「ハニートラップ」でしょうか。
連日のニュースで流れる「線状降水帯」従来からの集中豪雨とは異なると指摘されています。発生のメカニズムについては研究過程との由。しかし、大量生産・大量消費による地球温暖化が原因という意見が多く、私たちが得た便利さの代償なのかもしれません。驟雨がやんだ多摩川。水鏡の街も大きくゆらいでいくことでしょう。
この句もたくさん票を集めました。
紫陽花は土の質によって色を変えるらしいですね。
家ごとに違う、色や品種の紫陽花から 住む人を想像する視点が面白いと思います。
皆さんからのコメントを紹介します。
等さん: 家ごとに色の違う紫陽花が咲いている風景は私も大好きです。
住んでいる人もどんな人なのか、これも確かに気になりますね。
能登さん: コロナ禍での散歩風景でしょうか。家ごとの植栽に家人の人柄を想う。同感です。
紅さん: 紫陽花の綺麗な季節。うちでは真っ白に咲いています。
麗子さん: 昨今の紫陽花は品種が増えて見ごたえがあります。
白に紫、赤っぽいもの、青いもの。そしてガクアジサイにカシワバアジサイ。
家々ごとに紫陽花が咲き、しかもひとつとして同じものはありません。
そしてそこに住む人々の人間模様。みんないろんなものを抱えて生きています
千香子さん: 紫陽花は色も形も豊富でそれぞれの人の好みも分かります。
我が家にも紫陽花は2種類あり色も2種類ですが、今年咲いたものの内、
薄紫と薄い青と白が1つの花を構成しているものがあり、うっとり眺めています。
紫陽花にはしとしと降る雨が似合いますが、
近年は降り方が極端で、熱海に続き西日本と各地に被害をもたらし心配です。線状降水帯などという言葉も覚えました。
ぐっしょり濡れてうなだれているようです。
充分楽しませてくれた紫陽花。花の見ごろも過ぎました。
来年またきれいに咲かせるために急いで剪定をしなければいけません。
私はこれが苦手で失敗ばかり 今回はがんばろうと思っています。郁子
自由題で11票もの高得点を集めた見事なトップ賞!この梅雨時の空気感を上手に切り取られました。蔵書印はどなたのものでしょう?亡き人の思い出の本でしょうか?いずれにしても古い書籍ですね。少し湿った黴の匂い。どこか物語性も感じられました。
では皆様からのコメントです。
等さん:黴の香が蔵書の間からか、乾いた印鑑からかは分かりませんが、良いところに目を付けましたね。
殿さま:子どもの頃から読書好き。本を読みながらマンホールに落ちたことがあります。読書を趣味とされる方なら迷うことなく選句されると思います。
能登さん:静かなひと時の空気感を感じます。
亜子さん: 本棚から古めかしい本を開くと黴の匂いがすることがあります。嫌な臭いではなく、どこか懐かしい香り。今は電子書籍の時代になりつつありますが、やはり紙の本は滅びないで欲しいという思いも込めていただきました。
泉さん:梅雨に入り、じめじめしている。なんとも言えない臭いがする。
結宇さん:古書でしょうね。 今どき、蔵書印を見る機会も少なくなりましたものね。 前の時代を思います。
須美さん:古い本の光景匂いが伝わる。
蔵書印。昔、実家にありましたが、今やそれを押すことはなくなりました。書籍を大切にしていた時代の文化でしょうね。最近はメルカリやリサイクルでも蔵書印は敬遠されるようです。麗子
水辺の宝石といわれる翡翠<かわせみ>。翡翠は古語の「そび」<青い土>が語源といわれています。やがて、翡翠、水狗、魚虎、魚師と漢字が使われるようになります。「魚師」など俊敏に魚を捕らえるさまから生まれた表記と思われます。ちなみに、翡翠は流体力学的に優れていることから新幹線は翡翠からデザインされています。ところで、日本のコロナ対策は後手ばかりといった感。翡翠のような迅速な行動が望まれます。
鎌倉はコロナにより外国人が激減しました。しかし、日本人観光客は増え賑わいを取り戻しつつあるようです。原因は、やはり世界的なスポーツイベントの開催でしょう。外出自粛も空しく感じます。ところで、鎌倉の繁華街といえば「雪の下」。地名のいわれは、源頼朝が好んだ氷菓を作るための氷室<ひむろ>との由。早朝の雪の下を散策。鎌倉の花ともいえる紫陽花が咲いています。どんよりとした空模様。雨になるのでしょうか。
「ガラス越し見よ」が読みきれず、ガラスに映るお洒落な靴?
などと思ってしまいました。すみません。
選句された方のコメントを見て自分を反省した一句です。
亜子さん:今は病院の面会もガラス越しにしかできません。ガラス越しに会いに行ったら患者さんの背景に、白い靴を履き懸命に立ち働く看護師さんなどエッセンシャルワーカーの姿があったのではないでしょうか?「見よ」という強い言葉にこのコロナ禍へのメッセージ性を感じました
泉さん:コロナ禍で、さらに忙しいナース達の白い靴が目立つ。
白靴はナースの靴だったのですね。
オリンピックの観客を入れる?入れない?で連日揺れる状況ですが
感染者数の増加はもちろん、医療従事者の疲弊も気がかりです。
コロナ禍の疲れと思いたいですが
我先に優位にたとうとする自分本位な考え方がまかり通るようになっている気がします。
不信感、猜疑心、怒り・・そこから生まれるものはマイナスのものしかありません。
ガラスの向こう側で、患者さんのために一生懸命立ち働く看護師さん達の足元に焦点をあてたこの句に
作者の優しくも鋭い観察眼を感じました。 郁子
今日から7月です。2021年も半分過ぎました。コロナに翻弄された上半期。気分は晴れませんでしたが、この爽やかな郁子さんの俳句は、明日への希望が描かれ共感を呼びました。躍動感にあふれる白い運動靴が目に浮かびました。「少年の白靴」という具体的なものに「明日の風」という目に見えないものを合わせたところがこの句のポイントだと思いました。
コメントをご紹介します。
等さん:少年が風を切って疾駆する・・、当たり前の風景ですが、“明日の風”と将来に希望を持たせた措
字が良いですね。
須美さん:とてもさわやか。
能登さん:この場合、少年の白靴とはズック靴のことで、題の白靴とは違う気もしますが、明日への風が心地よく感じられて、いただきました。
下半期は、明日を信じて杞憂することなく風に吹かれたい。縮こまらず伸びやかな少年のような心を持って過ごしたいものです。麗子