三輪山をしかも隠すか・・・巻一・一八 額田王
「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情こころあらなも 隠さふべしや」
額田王ぬかたのおほきみ 巻1‐18
三輪山をみられるのも、もうこれが最後だというのに、雲よ、どうしてそんなにいじわるをするの。飛鳥を離れ、遠い近江まで行かなければならないんです。この辛い寂しい気持ちを、せめてお前だけでも解って欲しいなあ.雲よ、おまえに思いやりがあるのなら、三輪山を隠さないで、見せておくれ。天智天皇の6年(667)に都が飛鳥から近江の大津に遷りましたが、その近江に向かう途中、額田王が詠んだ歌です。
天皇を中心に都をあげての大移動ですから大変です。住み慣れた飛鳥を離れ、見慣れた風景とも今日でお別れです。近江へ向かう旅人の誰もがうしろ髪ひかれる思いです。ふり返りふり返り、ゆっくり歩いて来たのに、もう奈良山です。見通しがきいた古代でも、三輪山が見えるのはこのあたりが限度です。「もう一度だけ」と三輪山の方をふり返りますがあいにく山には雲がかかっています。
額田王にとっては、大海人皇子との楽しい思い出のある飛鳥です。それだけに大和を離れることは、他の人以上に寂しいことです。三輪山の雄々しい姿と、愛しい大海人皇子の姿が重なり、切ない思いで三輪山と別れたのではないでしょうか.三輪山は、いつもどっしりと大和の真ん中に座っています。赤松や杉、桧の濃い緑におおわれ、春の新緑も秋の紅葉も、ほんの少し山の裾の方だけです.うしろに弓月ケ嶽や巻向山、穴師の山が並んでいますが、さすが三輪山は、古代から神の山として崇められている山です。山の姿も色も、全体から受ける印象も、他の山とは全然違います.落ち着ける山、安心出来る山、親のふところのような山、大人物のように圧迫感のある山ー見る人によって印象は違いますが、三輪山は万葉人も手を合わせました。そして今、私達も、折に触れ手を併せています。
「わたしの万葉」犬養 孝より
『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)とは、7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた、日本に現存する最古の歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人など様々な身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3)以後と見られる。
日本文学における第一級の資料である事は勿論だが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにその中には詠み人の出身地も記録されていることから、言語学の資料としても非常に重要な資料である。
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「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情こころあらなも 隠さふべしや」
額田王ぬかたのおほきみ 巻1‐18
三輪山をみられるのも、もうこれが最後だというのに、雲よ、どうしてそんなにいじわるをするの。飛鳥を離れ、遠い近江まで行かなければならないんです。この辛い寂しい気持ちを、せめてお前だけでも解って欲しいなあ.雲よ、おまえに思いやりがあるのなら、三輪山を隠さないで、見せておくれ。天智天皇の6年(667)に都が飛鳥から近江の大津に遷りましたが、その近江に向かう途中、額田王が詠んだ歌です。
天皇を中心に都をあげての大移動ですから大変です。住み慣れた飛鳥を離れ、見慣れた風景とも今日でお別れです。近江へ向かう旅人の誰もがうしろ髪ひかれる思いです。ふり返りふり返り、ゆっくり歩いて来たのに、もう奈良山です。見通しがきいた古代でも、三輪山が見えるのはこのあたりが限度です。「もう一度だけ」と三輪山の方をふり返りますがあいにく山には雲がかかっています。
額田王にとっては、大海人皇子との楽しい思い出のある飛鳥です。それだけに大和を離れることは、他の人以上に寂しいことです。三輪山の雄々しい姿と、愛しい大海人皇子の姿が重なり、切ない思いで三輪山と別れたのではないでしょうか.三輪山は、いつもどっしりと大和の真ん中に座っています。赤松や杉、桧の濃い緑におおわれ、春の新緑も秋の紅葉も、ほんの少し山の裾の方だけです.うしろに弓月ケ嶽や巻向山、穴師の山が並んでいますが、さすが三輪山は、古代から神の山として崇められている山です。山の姿も色も、全体から受ける印象も、他の山とは全然違います.落ち着ける山、安心出来る山、親のふところのような山、大人物のように圧迫感のある山ー見る人によって印象は違いますが、三輪山は万葉人も手を合わせました。そして今、私達も、折に触れ手を併せています。
「わたしの万葉」犬養 孝より
『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)とは、7世紀後半から8世紀後半頃にかけて編まれた、日本に現存する最古の歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人など様々な身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3)以後と見られる。
日本文学における第一級の資料である事は勿論だが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにその中には詠み人の出身地も記録されていることから、言語学の資料としても非常に重要な資料である。
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