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【原文】
この泊の浜には、くさぐさのうるわしき貝、石など多かり。かかれば、ただ、昔の人をのみ恋つつ、船なる人のよめる、
寄せる波うちも寄せなむわが恋ふる人忘れ貝下りて拾はむ
といへれば、ある人の堪へずして、船の心やりによめる、
忘れ貝拾ひしもせじ白玉を恋ふるをだにもかたみと思はむ
となむいへる。女子のためには、親、幼くなりぬべし。「玉ならずもありけむを」と、人いはむや。されども「死じ子、顔よかりき」といふやうもあり。
なほ、同じところに日を経ることを嘆きて、ある女のよめる歌、
手をひてて寒さも知らぬ泉にぞ汲むとはなしに日頃経にける。
【現代語訳】
この港の浜には、いろいろきれいな貝や石などが多かった。だから、ただもう、死んだ子ばかりを恋しく思い思いして、船にいる人が詠んだ歌は、 寄せる波… (寄せる波よ、どうか打ち寄せておくれ、恋しく思う人のことを忘れることのできるという忘れ貝を。そうしたら船を下りて拾うから) と言ったら、ある人が堪えきれずに、船旅の気晴らしということで詠んだ歌は、 忘れ貝拾ひしもせじ… (亡き子を忘れてしまうという忘れ貝を拾おうとも思わない。白玉のような子を恋しがることだけでもあの子の形見と思いましょう) とこんなふうに詠っている。さてさて、その女の子のことになると、親はとんと分別を失ってしまうものとみえる。 「球と言うほどの子ではなかったろうに」と人は言うであろう。けれどもまた、「死んでしまった子は、器量がよかった」と言うようでもある。 やはり、同じところで日をむなしく過ごすのを嘆いて、ある女が詠んだ歌は、 手をひてて… (手を浸して寒さを感じるわけでもない<名ばかりの>和泉という所で、水を汲むわけでもなく、むなしく日を過ごすことだ) |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。
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