2005年11月06日(日)「阿智胡地亭の非日乗」掲載記事の再録。
「佃島で佃煮を買う」
[佃煮]というのはいまや一般名称になっていますが、元は江戸時代の[佃島]の漁師が小魚を甘辛く煮付けて、
冷蔵庫のない時代の保存がきくオカズとして売りだしたのが[佃煮]の始めです。その[佃島]の漁師は、摂津の国の「佃」(今の大阪市西淀川区の佃)から、移住した人たちを祖先としています。
10月31日に[月島]でもんじゃ焼きを食べたあと、佃地区へ回りました。[月島]の商店街から歩いて10分もかかりません。
大阪の住吉神社の分社の住吉神社の前を通って、佃地区に出ると何軒も佃煮屋がありました。
そのうちの一軒を覗くとイナゴの佃煮という札があるのを相方が見つけました。
これを買わなければ、のちのちまでも後悔すると思って店に入り、ハゼの佃煮と一緒に買いました。
この店は、この佃大橋が出来る昭和39年まで渡し舟があった渡船場のたもとにあったようです。
船は浅草と日の出桟橋を結ぶ水上バスです。
最寄のJRの駅までどれくらいの距離かわらないままに、佃大橋を渡り、新富町の交差点の交番で聞くと、JR有楽町駅まで20分くらいと言われたので、そのまま歩きました。佃大橋からは路地の下町とすぐそばの高層住宅群が見えました。
画像の右下のエリアが佃煮屋さんがある一画です。