新居浜のIさんのドライブ旅行その2⇒海の神様として知られている「金刀比羅宮」に10年ぶりに参拝しました。
「この山の鎮座己(すで)に三千年に向(ちか)づく」と古書にあるそうなので創建年代は約3000年?と言われています。
1165年に金比羅大権現と改称し1868(明治元年)に金刀比羅宮と改称し現在に至っています。
いよいよここが出発地点で785段目の「本宮」まで頑張ると決意!↑
出発地点には「こんぴらうどん」の店が多く昔から参拝者相手に旨さを競って栄えてきました。周辺にも製麺業が多く美味しいうどんを食べさせてくれます。
(金刀比羅にはうどん学校があり自分で作った麺はまた格別うまい!)


本宮までの往復のカゴも有料で準備されています。



海の神様として日本全国から奉納や御寄附があり神戸市漁業協同組合からもたびたび参拝され
沿道の石碑もあちらこちらに見受けられました。


「神馬」として実際に飼育されています。2頭いるようですが1頭の姿が見えませんでした。



なぜか「南アフリカ象」が奉納されている。その訳は「金刀比羅宮」は琴平山の中腹にあるが、
琴平山は別名「象頭山(ぞうずさん)」と昔から呼ばれていることから奉納されたものです。

「こんぴら狗(いぬ)」の像が奉納されています。江戸時代の庶民は旅行禁止されていたが神仏参拝はゆるされていました。
中でも伊勢神宮、金比羅宮、京都本願寺は一度は行ってみたいと多くの庶民が旅の一大イベントを夢みたようでした。
特に江戸からでは大変な旅で、森石松が清水次郎長の代参で刀を奉納した話は有名です。
この犬は動けない主人の代参で江戸から首に「こんぴら参り」と書いた袋を首にかけて旅人や多くの善意ある人達の世話により
無事大役を終えてまた江戸に帰ったことから大きな話題となり奉納されたとのことです。
袋の中には主人の名前の木札、神穂料、道中の会費などが入っていたと言われる。
昔から日本人は人情深く困った人を見捨てたりはしない国民性が根付いているのですね。

今治に本社がある大手造船会社から直径6m、重さ19tの真鋳製プロペラが奉納されていました(5000台自動車運搬船用)。

本宮の手前にある重要文化財の「旭社」
「この山の鎮座己(すで)に三千年に向(ちか)づく」と古書にあるそうなので創建年代は約3000年?と言われています。
1165年に金比羅大権現と改称し1868(明治元年)に金刀比羅宮と改称し現在に至っています。
いよいよここが出発地点で785段目の「本宮」まで頑張ると決意!↑
出発地点には「こんぴらうどん」の店が多く昔から参拝者相手に旨さを競って栄えてきました。周辺にも製麺業が多く美味しいうどんを食べさせてくれます。
(金刀比羅にはうどん学校があり自分で作った麺はまた格別うまい!)


本宮までの往復のカゴも有料で準備されています。



海の神様として日本全国から奉納や御寄附があり神戸市漁業協同組合からもたびたび参拝され
沿道の石碑もあちらこちらに見受けられました。


「神馬」として実際に飼育されています。2頭いるようですが1頭の姿が見えませんでした。



なぜか「南アフリカ象」が奉納されている。その訳は「金刀比羅宮」は琴平山の中腹にあるが、
琴平山は別名「象頭山(ぞうずさん)」と昔から呼ばれていることから奉納されたものです。

「こんぴら狗(いぬ)」の像が奉納されています。江戸時代の庶民は旅行禁止されていたが神仏参拝はゆるされていました。
中でも伊勢神宮、金比羅宮、京都本願寺は一度は行ってみたいと多くの庶民が旅の一大イベントを夢みたようでした。
特に江戸からでは大変な旅で、森石松が清水次郎長の代参で刀を奉納した話は有名です。
この犬は動けない主人の代参で江戸から首に「こんぴら参り」と書いた袋を首にかけて旅人や多くの善意ある人達の世話により
無事大役を終えてまた江戸に帰ったことから大きな話題となり奉納されたとのことです。
袋の中には主人の名前の木札、神穂料、道中の会費などが入っていたと言われる。
昔から日本人は人情深く困った人を見捨てたりはしない国民性が根付いているのですね。

今治に本社がある大手造船会社から直径6m、重さ19tの真鋳製プロペラが奉納されていました(5000台自動車運搬船用)。

本宮の手前にある重要文化財の「旭社」

パニーノにはさんだのは目玉焼き、チーズ、ハム、ルッコラ。つけ合せはキュウリ、トマト、バナナ。夜の酒の肴は黒豚の味噌漬け、キムチ、豆腐。
ビールは埼玉県川越の地ビール、「COEDO」―小江戸。新潟の日本酒「ふなくち菊水」は度数が高くてよくまわる。

ビールは埼玉県川越の地ビール、「COEDO」―小江戸。新潟の日本酒「ふなくち菊水」は度数が高くてよくまわる。
