上の写真は三ノ輪の生家である「履物店」の前の荒木経惟。
両国にある奇妙な東京を象徴するような奇天烈な設計の建物「江戸東京博物館」で、荒木経惟の写真展「東京人生」を12月24日までやっている。

荒木経惟ことアラーキーは昔から気になる同時代人の一人だ。
彼の写真はどの一枚も気持ちがなごむ物はない。
自分はここに写っている連中と同じ日本人だといつも思い知らされる。
プロフィル;
1940年東京都台東区三ノ輪生まれ。
千葉大学工学部写真印刷工学科卒。
1963年広告代理店電通入社、
写真部に所属。
1964年写真集「さっちん」で
第1回太陽賞。
1972年電通退社。
1974年東松照明・細江英公・
森山大道・横須賀功光・深瀬昌久らと
「WORKSHOP写真学校」の設立に参加。
1976年荒木経惟私塾開設。
1981年事務所「アラ-キ-」開設。
●主な写真集と著作:
わが愛・陽子、偽日記、写真生活、写真論、
天使祭り、荒木経惟写真全集(平凡社全20巻)、
荒木経惟文学全集(平凡社)。
中でも「東京」の名をつけた数多くの写真集を発表。
「東京は、秋」「私東京」「東京ブル-ス」「東京エレジ-」「東京写真」「東京劇場」「東京日記」ほか。
●受賞歴:太陽賞、東川賞(国内作家賞)、
日本文化デザイン会議賞、織部賞など多数。
「三ノ輪はノスタルジ-として私の写真の中に残っている。
私が生まれたのは台東区三ノ輪だけど、今では昔の面影もなくなってるね。近くに遊廓で有名な吉原があって、遊女達に因縁のあるお寺が私たち子供の遊び場だったんです。吉原病院の裏ではよく野球をやってました。樋口一葉の「竹くらべ」の舞台になった入谷もすぐ隣で、大人の世界の中で子供たちが成長していくという、今思えば他所にはないちょっと面白いところでした。都電も走っていてね。路面を走っているところなんか、ちょっと危うそうで、それが良かったね。都電はいまでも一部あるけど、殆どはなくなっている。何とか写真の中に記憶として残している。これが私の特長でね。いまはもうないところでも、写真で撮ったところは私の中にきちっと思いが残っているんだよ。生まれた三ノ輪は私にとっては子宮だからね。そんな感じが写真に撮れていると思う。東京を撮った私の写真を見て、「あっ、東京にも田舎がある。故郷がある」と思ってくれる人がいるんじゃないか。そこが、いま一番大切なところなんだね。地方から出てきた人が東京にも故郷に感じる思いを持ってくれることがね。郷愁とか、過去が忘れられないとか、写真は、そういう行為なんだから。写真を撮るということはノスタルジーを残していくこと。ノスタルジーは写真の原点で、人間としての感情の原点なんだ。そこが大切だと思う。 」
以下の写真は全て写真展の作品から。


両国にある奇妙な東京を象徴するような奇天烈な設計の建物「江戸東京博物館」で、荒木経惟の写真展「東京人生」を12月24日までやっている。

荒木経惟ことアラーキーは昔から気になる同時代人の一人だ。
彼の写真はどの一枚も気持ちがなごむ物はない。
自分はここに写っている連中と同じ日本人だといつも思い知らされる。
プロフィル;
1940年東京都台東区三ノ輪生まれ。
千葉大学工学部写真印刷工学科卒。
1963年広告代理店電通入社、
写真部に所属。
1964年写真集「さっちん」で
第1回太陽賞。
1972年電通退社。
1974年東松照明・細江英公・
森山大道・横須賀功光・深瀬昌久らと
「WORKSHOP写真学校」の設立に参加。
1976年荒木経惟私塾開設。
1981年事務所「アラ-キ-」開設。
●主な写真集と著作:
わが愛・陽子、偽日記、写真生活、写真論、
天使祭り、荒木経惟写真全集(平凡社全20巻)、
荒木経惟文学全集(平凡社)。
中でも「東京」の名をつけた数多くの写真集を発表。
「東京は、秋」「私東京」「東京ブル-ス」「東京エレジ-」「東京写真」「東京劇場」「東京日記」ほか。
●受賞歴:太陽賞、東川賞(国内作家賞)、
日本文化デザイン会議賞、織部賞など多数。
「三ノ輪はノスタルジ-として私の写真の中に残っている。
私が生まれたのは台東区三ノ輪だけど、今では昔の面影もなくなってるね。近くに遊廓で有名な吉原があって、遊女達に因縁のあるお寺が私たち子供の遊び場だったんです。吉原病院の裏ではよく野球をやってました。樋口一葉の「竹くらべ」の舞台になった入谷もすぐ隣で、大人の世界の中で子供たちが成長していくという、今思えば他所にはないちょっと面白いところでした。都電も走っていてね。路面を走っているところなんか、ちょっと危うそうで、それが良かったね。都電はいまでも一部あるけど、殆どはなくなっている。何とか写真の中に記憶として残している。これが私の特長でね。いまはもうないところでも、写真で撮ったところは私の中にきちっと思いが残っているんだよ。生まれた三ノ輪は私にとっては子宮だからね。そんな感じが写真に撮れていると思う。東京を撮った私の写真を見て、「あっ、東京にも田舎がある。故郷がある」と思ってくれる人がいるんじゃないか。そこが、いま一番大切なところなんだね。地方から出てきた人が東京にも故郷に感じる思いを持ってくれることがね。郷愁とか、過去が忘れられないとか、写真は、そういう行為なんだから。写真を撮るということはノスタルジーを残していくこと。ノスタルジーは写真の原点で、人間としての感情の原点なんだ。そこが大切だと思う。 」
以下の写真は全て写真展の作品から。


