薄暮の駅前のバスターミナル。昭和10年代、小説家・野坂昭如は張満谷昭如少年として「省線六甲道駅」近くの中郷町に住み、駅から3分の成徳小学校に通っていた。
天才落語家・桂枝雀は昭和14年に中郷町で生まれ育ったが戦争が激しくなると父の実家がある鳥取県倉吉市に疎開した。昭和5年生まれの野坂が六年間通った成徳小学校に入学する前だった。
中郷町は米軍の神戸大空襲で完膚なきまでに破壊され、野坂の養父は焼夷弾の直撃を受け死体はついに見つからなかった。
アメリカ空軍は訓練どおり念入りに絨毯爆撃で住宅地に焼夷弾を落としため、中郷町とその周辺は完全に破壊され、張満谷家の家のありかも特定できないほどだ。
そして中郷町は1995年の大震災で再び壊滅し今はマンションが立ち並ぶ新しい町になっている。「火垂るの墓を歩く会」(クリック)
天才落語家・桂枝雀は昭和14年に中郷町で生まれ育ったが戦争が激しくなると父の実家がある鳥取県倉吉市に疎開した。昭和5年生まれの野坂が六年間通った成徳小学校に入学する前だった。
中郷町は米軍の神戸大空襲で完膚なきまでに破壊され、野坂の養父は焼夷弾の直撃を受け死体はついに見つからなかった。
アメリカ空軍は訓練どおり念入りに絨毯爆撃で住宅地に焼夷弾を落としため、中郷町とその周辺は完全に破壊され、張満谷家の家のありかも特定できないほどだ。
そして中郷町は1995年の大震災で再び壊滅し今はマンションが立ち並ぶ新しい町になっている。「火垂るの墓を歩く会」(クリック)