素晴らしい天気でした。家を出て旧中川の遊歩道をみんなで散歩しました。カモメやハトにエサをやるのも楽しみだそうです。
















定点観測ポイントからのスカイツリー。

旧中川。Wikipediaから部分引用。
地理
東京都江戸川区平井の木下川水門で荒川放水路(荒川本流)から分水する。大きく蛇行しながら南へ流れ、江戸川区小松川の荒川ロックゲートから、ふたたび荒川へ合流する。
川の東側はすべて江戸川区、西側は北十間川との合流地点までは墨田区、それより南の荒川ロックゲートまでは江東区となっている。
川岸には東京都ボート協会が高架下を利用した艇庫を所有しており、ボートを練習する社会人や学生が増えており、各種ボートの乗艇が体験できる江戸川区主催のボートフェスティバルも開催されている。現在、親水護岸整備が進行中である。
歴史
旧中川は、1924年荒川放水路に注水を開始したことによって分断された中川の下流部分である。
江戸時代には歌川広重の名所江戸百景「逆井の渡し」や江戸名所図会の「平井聖天」(燈明寺)、新編武藏風土記稿の「逆井渡船場図」などで、情緒豊かな川であったことが知られており、川沿いに史跡が残っている。
1945年3月10日の東京大空襲では、猛火を逃れようと川に入った3000人以上が犠牲となった。その犠牲者の慰霊のために、1999年に「旧中川灯籠流し」が始まり、以来毎年8月15日に行われている。平常時は、両端の水門を締め切って両端とも荒川へ排水しているため水は流れていないが、灯篭流しの時だけは木下川水門より取水し、荒川ロックゲート側から排水することにより水流を発生させ、灯篭が流れるように工夫している。
















定点観測ポイントからのスカイツリー。

旧中川。Wikipediaから部分引用。
地理
東京都江戸川区平井の木下川水門で荒川放水路(荒川本流)から分水する。大きく蛇行しながら南へ流れ、江戸川区小松川の荒川ロックゲートから、ふたたび荒川へ合流する。
川の東側はすべて江戸川区、西側は北十間川との合流地点までは墨田区、それより南の荒川ロックゲートまでは江東区となっている。
川岸には東京都ボート協会が高架下を利用した艇庫を所有しており、ボートを練習する社会人や学生が増えており、各種ボートの乗艇が体験できる江戸川区主催のボートフェスティバルも開催されている。現在、親水護岸整備が進行中である。
歴史
旧中川は、1924年荒川放水路に注水を開始したことによって分断された中川の下流部分である。
江戸時代には歌川広重の名所江戸百景「逆井の渡し」や江戸名所図会の「平井聖天」(燈明寺)、新編武藏風土記稿の「逆井渡船場図」などで、情緒豊かな川であったことが知られており、川沿いに史跡が残っている。
1945年3月10日の東京大空襲では、猛火を逃れようと川に入った3000人以上が犠牲となった。その犠牲者の慰霊のために、1999年に「旧中川灯籠流し」が始まり、以来毎年8月15日に行われている。平常時は、両端の水門を締め切って両端とも荒川へ排水しているため水は流れていないが、灯篭流しの時だけは木下川水門より取水し、荒川ロックゲート側から排水することにより水流を発生させ、灯篭が流れるように工夫している。