阪神新在家駅近くの居酒屋「大学」に行くたびに大学の対面にあるこの店が気になっていた。
集合時間の半時間前に新在家に着いたので、どんな店か知りたくて入ってみた。まあ店内の広いこと広いこと!!
ちょっとオーバーに言えばちょっと前までの百貨店の最上階のレストランほどの広さがある!!!



ネットで見ると二つの店が合体して「日の出もり家」になったようだ。もともと「もり家」はJR六甲道のガード下で営業していたが
22年前の阪神淡路大震災で壊滅し、当地にあった「日の出家」と一緒になったらしい。
この広さから推測すると、戦後から昭和50年代頃まで日の出から日の出の間、3交代24時間操業の神戸製鋼灘浜製鉄所の
工員相手の食堂だったに違いない。そう言えば阪神新在家駅は元々は神鋼灘浜の通勤客が7割くらい占める駅だった。
メニューを見ると 食堂と言っても酒もあればお好み焼きも、なんでんかんでん100種を超える種類ありだから、
大衆居酒屋でもあったようだ。当日も酒を楽しんでいるお客さんが二組いた。
そして店内にはそんな時代を働いてきたと見える翁と媼が現役で元気に働いておられた。
集合時間の半時間前に新在家に着いたので、どんな店か知りたくて入ってみた。まあ店内の広いこと広いこと!!
ちょっとオーバーに言えばちょっと前までの百貨店の最上階のレストランほどの広さがある!!!



ネットで見ると二つの店が合体して「日の出もり家」になったようだ。もともと「もり家」はJR六甲道のガード下で営業していたが
22年前の阪神淡路大震災で壊滅し、当地にあった「日の出家」と一緒になったらしい。
この広さから推測すると、戦後から昭和50年代頃まで日の出から日の出の間、3交代24時間操業の神戸製鋼灘浜製鉄所の
工員相手の食堂だったに違いない。そう言えば阪神新在家駅は元々は神鋼灘浜の通勤客が7割くらい占める駅だった。
メニューを見ると 食堂と言っても酒もあればお好み焼きも、なんでんかんでん100種を超える種類ありだから、
大衆居酒屋でもあったようだ。当日も酒を楽しんでいるお客さんが二組いた。
そして店内にはそんな時代を働いてきたと見える翁と媼が現役で元気に働いておられた。