阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

13年ぶりに入った月島のもんじゃ焼きの店「はざま」は相変わらずおいしかった。

2018年07月19日 | 食べる飲む

月島へはJR両国駅で地下鉄大江戸線に乗り換える。


元の勤務先の知人でおそらく我が家に一番近い場所に住む 勝どきの森山さんとの定例飲み会の今月の場所は2回目の月島だった。

 



最初に居酒屋「岸田屋」に向かった。


5時の開店の30分前にはいつも30人ほど並んでいる店で前回は入店を諦めた店だ。

この日は日本の夏がシンガポールや台北並みの暑さに定常化したせいか出足が鈍く、5時10分ほどの時間だったがちょうど二人分の席が空いていた。

この日の最初の生ビールの一口には生き返るような思いがした。店はコの字型のカウンターが中心で半数以上の客が若い女性だった。

雑誌やSNSで評判を知って遠方からも足を延ばしているようだ。キンメダイの煮つけと穴子の煮つけとおしんこを頼んだがどれも一級品だった。


生ビールの後はヌル燗を頼んだがやはり日本酒は体に合い過ぎて酔いの回りが早く、外で飲むには向いてないことを再認識した。
岸田屋のあともう一軒とぶらぶらしたら13年前に神戸から東京に遊びに来た時に入った「はざま」の案内看板が目に入った。表通りから横町に入ったところに店がある。
当時とてもおいしかったし八千草薫さんの色紙があって喜んだ覚えがある。入ると少しレイアウトが変わっているようだったが小上がりは変わっていなかった。



 「はざまもんじゃ」というのをお兄さんに作ってもらった。









やはり手慣れた人にやってももらうと上手に仕上がる。



もんじゃ焼きはどこの店でも同じだろと言っていた森山さんも旨い旨いとよく食べた。

やはり店が持っている伝統の味というのはあるところにはあるんだと思った。

月島で「もんじゃ焼き」

 

2009年03月30日 | 東京ぶらぶら

 

月島のもんじゃ焼きの店「はざま」で生まれてはじめて食べた「もんじゃ焼き」はおいしかったです。

2005年10月31日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載記事再録。
[もんじゃ焼きはうまかった]
月島へ初めて行って「もんじゃ焼き」と言うものを食べてみました。有楽町線で月島駅で降りて7番口を上がると、“もんじゃ焼き案内所”なるものが出ていました。神戸の北野の異人館の案内所の事がピーンときました。確か月島では昔からのもんじゃ焼きの店と外部資本の促成もんじゃ焼きの店の熾烈な抗争があったことを思いだしました。この案内所では地図だけもらって、案内所のお姉さんが「お勧めの店です」と言う店は外すことにしました。この案内所は新興の外部資本が組んで作っている案内所に違いないと思ったからです。

月曜日の今日は、裏通りの老舗の店は休みの店が多かったのですが、幸い一軒開けている店がありました。「はざま」です。

店の中は、お世辞にもきれいとは言えず、昔の横丁の近所の子供たちが来る一銭お好み焼き屋という感じでした。

壁には沢山の色紙が張ってあり、中に「八千草薫」さんの色紙があるのを見つけて嬉しくなりました。

生まれて初めての「もんじゃ」なので店の男性に、焼いてもらいました。やはりうまく焼く手順と言うのがあるもんだと分かりました。すぐ自己流でやりたいタチですが、反省しました。

焼いてもらいながら話をすると、開店は昭和25年とのことで、老舗の店でした。「表通りの店とは出来が違うんだ」と言うと、そうなんですよと誇らしげな返事が返ってきました。

今は新興の店も組合に参加させたそうですが、いい加減な儲け優先の連中が月島へ入り込み、シャッターを下ろして廃業した店を安く借りて、流行の「もんじゃ」で稼ごうとしたそうですが、地元のモンジャの店が、彼らのあまりにひどい「もんじゃといえないもんじゃ」でのぶったくり商法に、待ったをかけ、伝統の「もんじゃ」のレシピを守らせるようにした経緯があると読んだ事があります。

相方の話では、テレビで見た、新興勢力と対峙した老舗グループの代表の女将さんが、この店の女将に似ていたとのことです。確かに気風のいい女性でした。

旨いものを初めての土地で食べるための、いつもの時間をかけたぐるぐる回りの偵察、鼻利かせタイムの甲斐があって、結果的に、裏通りの本格派のこの店にめぐり合ってハッピーでした。







サイドオーダーの「マグロステーキ」や「レバカツもんじゃ」も飛び切りの旨さでした。






 

 

 



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