阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

五木寛之「サンカの民と被差別の世界」

2022年10月21日 | 音楽・絵画・映画・文芸
2010年02月15日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
 

いま、五木寛之が書いた小説「親鸞」がよく売れているそうだ。これまで親鸞を描いた小説のどれとも違った破天荒の「親鸞」らしい。

今回読んだ「サンカの旅と被差別の世界」は、小説「親鸞」を書いた五木の基層を作った取材をまとめた本だと思う。

目次

第1部 海の漂泊民、山の漂泊民

海を住処とする「家船」の人びと
幻の「サンカ」を求めて
漂泊者の思想とその豊饒な文化

第2部 東都の闇に生きた被差別の民

「浅草弾左衛門」と呼ばれた賎民の王
生と死、聖と賎、美と醜の境界
「フーテンの寅さん」への憧れ

出版社 / 著者からの内容紹介

消えゆく記憶と、消してはいけない歴史語られることのない、日本の歴史の深層を真摯に探訪する。

かつてこの列島には、土地に定住することなく、国家に帰属することもなく自分の身分証明をした人びとがいた。

海の漂泊民「家船」と山の漂泊民「サンカ」である。そして関東には、江戸・東京を中心とした被差別の世界があり、

社会の底辺に位置づけられた人びとがたくましく生きた。賤民を束ねたのが浅草弾左衛門、非人頭は車善七だ。

 < 著者のことば>

私は、隠された歴史のひだを見なければ、"日本人のこころ"を考えたことにはならないと思っています。

今回は「家船」漁民という海の漂泊民から「サンカ」という山の漂泊民へ、そして、日本人とは何かという問題にまで踏みこむことになりました。

それは、これまでに体験したことのなかった新しいことを知り、自分自身も興奮させられた旅でした。

 本のはしがき「原郷への旅」から一部引用

引用開始・・私は自分が九州出身であるため、熊襲が討たれる話などを聞くと、つい討たれる側に同情してしまう。

しかも「古事記」にしても「日本書紀」にしても先住民たちが天皇軍の謀略によって滅ぼされるという話が多い。

例えば、昼間酒を飲まされて、油断して寝込んだところを夜討ちをかけられてあっさり負けてしまうのだ。

古代のこうした神話を読んでいると、CIAそこのけの策略戦だったことに驚かされる。素朴でナイーブだった先住民たちが、

だまし討ちのように苦もなく滅ぼされていくのを見ていると、なんだか義憤さえ感じてしまうのだ。

そうした過去の歴史はすっかり忘れられている。そして、相変わらず「日本人単一民族説論」が信仰されているのが現実ではないか。

最初からそれはイリュージョンであるにもかかわらず、アイヌ民族の存在を無視したような発言をいまだに聞くことがある。

沖浦氏の話では、少なくとも学会ではいま、日本人単一民族論をいう人など誰もいないと言う。日本人は複合民族であって、およそ六系列ぐらいの民族が存在している、

というのが学会での常識になっているそうだ。

そうした学会での常識が、なぜ一般の日本人の間では常識になっていないのだろうか。それが私には不思議でたまらない。

中略

それは、いまのマスコミの状況とよく似ている。たとえば、政府の経済対策にしても財政の問題にしても、一部の人はよく知っていることが

広く一般の人びとには知らされていない。みんなが知ったほうがいいにもかかわらず、本当のことが隠蔽されているという気がしてしかたがないのだ。

その隠蔽体質を解消して、情報を開示していこうではないか、というのがこのシリーズのひとつのモチーフだと私は思っている。

引用終わり。

2006年3月8日 第2刷 講談社

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☆昭和7年生まれの五木寛之は戦後、親の故郷である九州で、朝鮮からの「引揚者」と、周囲から差別された体験を持って育った。

彼の書くものの原点にこの体験が抜きがたくあるようだ。

☆私は沖縄へ旅行したとき、地元の人に自分が「ヤマトンチュウ-大和人」と言われたのになぜか抵抗を感じた。

自分が大和朝廷を作った民族系列に属しているとおもえないからだ。このことは「鶴見俊輔」と「網野善彦」が対談した「歴史の話」で網野が同じことを書いていた。

 網野善彦は山梨県出身なので、出来たら沖縄の人は自分をヤマトンチュウ(大和人-日本人)と呼ばずに、甲州人と呼んで欲しいと思ったと笑いながら言っている。

その伝にならえば、私も沖縄人にヤマトンチュウ(大和人-日本人)と呼ばれるよりは信州人と呼んで欲しい。

☆余談ながら、最後の十三世弾左衛門は、明治の最初の頃に撮影された帯刀羽織袴の写真が残っている。

そして、彼は養子で十三世浅草弾左衛門となったのだが、驚いたことには生まれ育ったのは攝津国兎原郡住吉村だと書いてあってびっくりした。

現在の神戸市東灘区から浅草に養子に行って、彼は関八州のえたの最後の総元締めになったことになる。

   阿智胡地亭は高校生のころ三重県四日市市から引っ越して、昔の攝津国兎原郡住吉村、今の神戸市東灘区住吉町に住んでいた。

☆お笑いを一つ!!
 
 五木寛之はある講演会で司会者からこう紹介されたことがある。

皆様、本日講演をお願いしましたのは「さらば息子は愚連隊」でご存知の五木ひろしさんです! 

 

   五木のベストセラー「さらばモスクワ愚連隊click」


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