テレビ欄を見た訳ではないのに、たまたまBSの「日本映画専門チャンネル」をつけたら阪妻の「無法松の一生」が丁度始まるところでした。
断片的に見たことはあっても通しでは見た事がなかったので、引きこまれて最後まで見ました。つくづくテンポの感覚は戦前も現代も関係ないと思いました。
そして胸が熱くなる映画でした。
夜遅く風呂から上がって、身体を冷やす間だけと思ってまた同じチャンネルをつけてみたら、今度は「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」が始まるところでした。

シンクロニシティというのか、片や九州小倉が舞台の映画、片や原作者が九州小倉生まれのリリー・フランキー。
両方の映画で使われるセリフは当然殆どが北九州弁たい!
映画そのものも良かったけど、俳優が喋りよる言葉に なんがなし私は酔うたですもんね。ほんに気持ちのなごやかになったとです。
人間が育つ過程で身につけて、生涯その人の身体に染みこんで変らない言語は、日本でいう小学校三年生の歳までに使った言語が母語になると言います。
そういう意味では外国語をネイティブに近く使おうと思えば、9歳くらいまでその国のクラスに1人で放り込まれなければ無理だそうです。勿論例外は必ずありますが。
そういう学説は知っていたけれども、1日のうちに2本の北九州ば舞台にした映画ばみて、それば実感したったい。
信州出身の両親は当たり前ばいが 北九州弁ちゃ、いっちょん喋らんやったもんね。 だけん 家族五人で自分だけたいね、当時北九州弁ば喋るンは。 5歳から9歳までたった4年しかいなかったけれど、北九州の、当時の若松市二島の島郷小学校(現花房小学校)に入学してから初めて覚えた土地の言葉は、
しっかり 身体に染み込んでいるんだと、2本の映画を見てつくづく思い、嬉しかったです。
綾垣先生学級で同じクラスだった福島駿君、久保田昭君。小学校に入学して3年生の一学期までで別れて以来会ったことはありませんが、
北九州弁を聞くとフルネームで二人の元の級友の名前が頭に浮かぶのが、自分でも不思議でなりましぇん。
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