2006年5月19日のブログに掲載
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2006年 5月17日にあった進水式の模様です。
やや雨模様のもと、大型コンテナー専用船の進水式がありました。この船の発注者は世界でも有数のコンテナー船運用会社である台湾の会社「Evergreen Marine Corp.」です。
船名の[Ever Spring]は1975年に同社が就航させた第一号のコンテナー船から取った記念すべき船名のようです。
このあたり一帯は、奈良時代から大輪田の泊と言われ、平清盛の時代には宋の国との大型交易船が何艘も何艘も、もやっていたところです。
大輪田泊:「潮待ちの港の中で、これ程歴史的内容のある、また戦いや戦争、そして災害により廃墟と化しては復興を繰り返して来た港は珍しい。
古くは日本書紀に出てくる神功皇后伝説の時代に始まり、奈良時代から”大輪田泊”と呼ばれる良港として栄えた。
特に平安時代には平清盛による大輪田泊の修築と中国宋との貿易、福原遷都、そして源平合戦による焼却。鎌倉時代には重源の大輪田泊の修築により、
国内第一の港として"兵庫津"と呼ばれるようになった。南北朝時代には湊川合戦の戦場となって再び廃墟と化した。江戸時代には朝鮮通信使や北前船、
尾州廻船など瀬戸内海運の拠点として栄えた。 1868年1月1日日米修好通商条約により、神戸港が開港され、交易の拠点としての地位を神戸に譲り、
明治以降兵庫津は産業の拠点として発展して来た。太平洋戦争による戦災と復興、そして阪神淡路地震による震災復興と発展している」。webより引用。
日本海事協会におられた安田さんから頂いたメールをご参考に
⇒船は、傾斜のついた陸上の船台で製作されます、積み木のブロックみたいに積み重ねて建造しますが、一般の陸上構造物とことなり、船は海に浮かばさねばならないので、
ある程度船体(どんがら)が完成した時点で、傾斜の台を滑らせて海に浮かべます。これが進水式です。進水式後は、岸壁につないで内装などの工事をして完工となります。
しかし、船が大きくなりますと船台でつくるわけにはいかず、最近の新しい造船所ではドックの中で直接建造しております。
この場合船は傾斜をすべらないので、ドックに 注水して浮上させております。
今日本の大型船を建造する造船所はほとんどドックで建造しておりますが、神戸の三菱重工と川崎造船は非常に古い造船所で、昔風の方法で船台で建造し、
進水して完成しております。いまや神戸以外の大都市では進水式をみることはできず、神戸市民はこれをみる恵まれた環境にあります。
さて、川崎造船の場合は昔ながらのヘット(油脂)を使用した方法で進水させております。
三菱重工は、船体をすべらせるのに、船台の滑り面に鋼ボール玉をソロバン状に敷き詰めて進水させております。進水作業は簡便ですが進水時は
ガラガラととても大きな音がいたします。
一方、川崎造船は昔からの方法で滑り面にヘット(油脂)を敷き詰めて進水させます。この方式による大型船の進水は日本では非常に珍しくなっています。
いまでは非常に珍しい進水式です。
進水式の日時:進水式は進水後船体を傷つけ無いように、大潮の時間に行い、日取りも大安の日に行います。
進水式では、進水の前にまず、命名式をするのが普通です。
この後、支綱(ロープ)を切断ー>進水作業ー>進水となります。
なお、昔より進水は造船所にとって子供の出産であり、支綱(しこう)は母親と子供をつなぐ臍帯にみたてて、この綱を切断するのは、必ず女性ときまっております。
今回も船主の奥さんが斧で切断し、ロープの先にあるお神酒が割れ、進水します。
また、このロープは安産のお守りとして寸断され関係者に配布されます。
セレモニーそのものを内部の当事者の目で見た進水式の模様を教えてもらいました。
☆ 進水式は予行演習ができません。
成功するか(100%)、失敗するか(0%)のみで
大体OK(50%OK)はありません。
担当者にとって、まさに緊張の連続です。
1)まず、支綱切断
進水式のハイライトで、大観衆が注目しております。
女性が切断することになっていますが、事前に予行演習しているとはいえ、あせると一回で切れない場合があります。一回で切れないとますますあせり、細い紐でもなかなか切れません。
2)お神酒が割れるか
支綱がきれて、お神酒が予定どおり割れてくれるのかどうか
3)クス玉が割れるのかどうか
4)進水するかどうか
この1)2)3)4)の全てがスムースに連続100%成功しなければならず、担当者にとって緊張の連続です。
☆そして昔の進水式の体験者から次のようなお話も:
進水式には「支鋼切断」と言うハイライトの動作があります。これが進水式の中で一番厳粛な行事です。当時は、この支鋼切断は若い女性(処女)が行うものと決まっていました。(進水して艤装した後の航海を処女航海と云いいます) 特設された式場の中心部に式台を設け、三宝の上に乗せた銀の斧で進水する船に結び着けた紐を切断します。この紐が繋船したロープを切り、船尾の一升ビンを割って船が船台から滑り下りる。楽隊が勇壮なマーチを演奏する。港に停泊している船舶がお祝いの祝笛を鳴らす。船の行足のまま船は滑って行く。夢を見るような一瞬でした。