そんなに量はいらないが品数は多い方が嬉しい。参加者はみなそういう世代です。世話役の高橋さんはそんな思いをうまくオーダーに織り込んでくれました。
それぞれ一品を2皿づつ頼んでそれを8人でシエアして食べましたが一人一人にちょうどいいボリュームでした。酒はビールと温めた紹興酒でした。
ゆで豚バラ肉のにんにくソース
油淋鶏(鶏の唐揚げ特製ソースかけ)
あんかけおこげ
酢豚
海老のマヨネーズソース
レタス炒め
〆の胡麻担々麺は撮り忘れたので別の日にランチで食べた画像を載せます。
デザート
しかし1950年代の女子の体操を今見ると、違うスポーツと思えるほど別物です。どれだけ違うのか、横に並べた比較映像をご覧ください。
引用元。
夏盛りの集まりは弓道部OB八人による暑気払い。5時半の集合時間に30分ほど早く着きました。JR神戸駅は最近は湊川神社境内の楠公会館によく行くので親しい駅になりました。
駅の周辺や構内です。浜側にモザイクなどの施設が出来、駅自体も美しく整備されました。
駅の浜側
構内
山側
このメンバーでの海月(くらげ)食堂での集まりは2回目です。料理は明日の続きで。
前回の海月食堂弓道部OBの集まりはこちら。
荒井銅「いやあ良かった」 小布施で見守った親族・町民
「いやあ、良かった、良かった」。リオデジャネイロ五輪の男子50キロ競歩に出場した長野県上高井郡小布施町出身の荒井広宙(ひろおき)選手(28)が、「失格」を巡る混乱の末、銅メダルをつかんだ20日午前。荒井選手を信じて応援し続けた家族や町民らは、改めて喜びをかみしめた。
20日昼前、体調に配慮して現地には行かず、地元で応援した荒井選手の父康行さん(67)の町内の自宅を、康行さんのいとこの三田博幸さん(60)=小布施町=が訪ねた。銅メダル獲得を喜び合い、康行さんは「(一時は)頭が真っ白になっちゃったよ」と笑顔を見せた。
この前夜、町が町内の北斎ホールで開いたパブリックビューイング(PV)には町民ら約400人が集まった。19日午後11時40分すぎ、荒井選手が3着でゴールに入ると一斉に立ち上がり、大歓声と拍手。康行さんも周囲の人たちと抱き合って喜んだ。「広宙のために町が一つになって応援してくれた」と感謝した。
ところがスナックで知人らと祝杯を挙げていると、報道関係者から「失格」との情報が。20日午前1時すぎ、荒井選手から「父ちゃん、心配しなくていい」と連絡が入ったが、現地にいる荒井選手の兄英之さん(37)からは「失格になって広宙が泣いている」との電話。「天国から地獄に落とされたような」(康行さん)気持ちになった。
同3時半ごろ、再び荒井選手から電話があった。「父ちゃん、俺、『銅』確定した」。康行さんはすぐ、昨年11月に亡くなった妻であり、荒井選手の母である繁美さんの仏壇に手を合わせた。込み上げる思いを抑えられなかった。
PV会場で声援を送った市村良三町長も「失格」の情報にいったんは気落ちしたものの、銅メダルが確定して迎えた20日朝の電話取材には一転、「すごくうれしい。町を元気付けてくれた」。荒井選手が帰国したら、歓迎会を開催したいと語った。
(8月20日)
輝く銅みんなの希望 奥原、目標決め必ず成長 挑戦は続く
WIKIPEDIAから一部引用・・
長野県大町市出身。尊敬するアスリートはフィギュアスケートの浅田真央[1]。
小・中学校
小学校2年生の時、父親と姉、兄の影響を受けてバドミントンを始める。小学校6年生時にはANAアジアユースジャパン、U13で優勝、全国小学生ABC大会で2位、全国小学生バドミントン選手権大会で女子シングルスベスト8に進出。
大町市立仁科台中学校に進学後は、全日本ジュニアバドミントン選手権大会にて中学1年次には新人部門でシングルスベスト8、中学2年次には新人部門でシングルス優勝、中学3年次ではジュニア部門でシングルス2位。
☆頑張った二人は信州出身の人だったよと阿智胡地亭は興奮して家族に伝えた。が、「ああそうなんだ・・」としか返ってこなかった。
それでもめげずに、家族の中でたった一人身体的には100%信州人の阿智胡地亭はここ神戸の地でにんまりと信州人の頑張りに祝杯を上げた(笑)
・・・イチローも図1が示すように、ライト、センター、レフト方向にほとんど万遍なく、ボールを打ち返している。これは狙った方向にボールを打ち返すことのできるバットコントロールのうまさがあることが大きい。
イチローの場合、もうひとつ特徴がある。内野安打の多さ。これは打ちそこないではない。イチロー自身「調子がいい時ほど内野安打がでる」というように、意図的に難しい球を打ち、ぼてぼてにする技術があるからこその産物である。3000安打の2割が内野安打という数字は、大リーグの野球に新たな風を吹き込んだと言える。・・・引用元。