阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

ディス(り)カバリー青森。 動画。

2016年12月24日 | びっくり画像・映像
字幕必須!超難解なラップバトル勃発!!
【「滑舌悪い」芸人・諸見里さんVS「方言」青森県民】
Webムービー「ディス(り)カバリー青森!」

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「2016瀬戸内国際芸術祭終了と港周辺の風景」  新居浜住人から讃岐便り その5完

2016年12月23日 | 新居浜便り
愛媛県は新居浜市に住む50年来の友人泉谷さんからの讃岐レポートその5です。泉谷さんは高松出身で、高松市から「高松観光大使」を公式に委嘱されています。
⇒【瀬戸内国際芸術祭】は3年に一度開催され12の島と高松港を中心に約30カ国の芸術家がその島の活性化も
考慮して春、夏、秋に区切り独創的な作品にチャレンジ。 今回は11月で終了した。
地元の学生などや島民は恒例行事として大変協力し盛り上げてくれる。次回は2019年です↑
東洋のエーゲ海と呼ばれる美しい瀬戸内海をもっと世界に発信しょうと観光振興にも知恵を絞っています。
うどん、栗林公園、源平合戦の屋島、瀬戸大橋、金刀比羅宮、琴弾公園(寛永通宝)、小豆島(二十四瞳やオリーブ)
なども知名度がありますが大自然の恵みである穏やかで美しい瀬戸内海も観光資源としてアイデアを募集して活用努力中。

港のすぐ横に国際芸術祭のモニュメントがあり台湾の芸術家の作品。 漂流する種の起源を意味しているらしい

入口に大きなドラとバチが置いてある。外からの光が神秘的

内部から入口方向を見る。 素材はほとんど木を使用して製作している

北アメリカに伝わる家系を象徴するトーテムポールのようなモニュメントがフエリー乗り場にあった

女木島と男木島行きのフエリー。 赤鬼をイメージしたカラーに塗っている

この日は高松港沖でデインギー型ヨットレースが開催されほどよい風もあり各艇快調にとばしていた
高松港に隣接して昭和26年に発足した 「大的場ヨットハーバー」があり穏やかで環境的にもレースに適しているのでジュニア、学生、一般により
年間を通じて盛んにレースが開催されるヨット競技場でヨットレースのメッカと言われる。  最近はシーマンシップを持った人口も増えているそうです。
(約300艇のヨットが陸置き可能な施設です)

後ろ島が女木島

 かっては四国の玄関口として栄えた高松港ですが瀬戸大橋、フエリーなどの影響もあり華やかさはなくなったが現在は各島へのフエリー発着場として
活躍している。 夏場はナイトクルージングの運航も開始し自然が恵んでくれた穏やかな瀬戸内海の夜の風景を満喫している。



遊歩道は足場が安全で魚の種類も多く竿釣りに最適なのでシーズンには家族連れなど大勢が釣りを楽しむ。

海に面した遊歩道は往復約20分程度なので景色を見ながら絶好のウオーキング道であり多くの市民が利用

遊歩道にはウッドデッキが併設しており見た目は外国的な風情があり爽快で楽しい

小豆島からフエリーが到着

天気も良く素晴らしい眺めのイタリアレストランで結婚披露宴の皆さんに遭遇。新郎新婦に幸あれ!!

この風景は東洋のエーゲ海と称しても通用するのではないでしょうか。



 ☆泉谷観光大使さん、阿智胡地亭も夜大阪港の天保山埠頭から出て早朝に高松港に着く加藤汽船の夜行便や
JRの宇高連絡船を昭和40年代よく利用しました。あの頃の高松とはいまや全く別の街になりましたね。
またいちど神戸からのフェリーでゆっくり訪ねたいと思います。
高松の見逃せないスポットの紹介を5回に分けて送っていただきありがとうございました。


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日本酒と焼酎の酒肴はやはり魚が多い。

2016年12月23日 | ある日の肴/夕食

鰆の焼き物とひねず鶏サラダ。馬鈴薯の味噌汁はあきない。
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白のおたるワインの酒肴に「白身魚のバジルフライ」や「生ハムとモッツレラチーズ」

2016年12月22日 | ある日の肴/夕食
塩漬けのオリーブの実やトーストのマヨネーズコンビーフも十分にアテになります。👆
白身魚のフライは聞くまで何かわかりませんでした。冷凍品の活用でいろいろ楽しんでいます。


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冬至の夜は柚子風呂だ!

2016年12月22日 | 身辺あれこれ
柚子湯に入ると一年中風邪をひかないとか。いい香りに包まれて日本の伝統行事を楽しみました。
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大分県国東半島の平川農園さんから「ムラサキヤマイモ」などの野菜を頂きました。

2016年12月21日 | ゲストルーム
開梱して一品一品を取り出すたびにそれぞれの野菜の出来の見事さに感嘆しました。
平川農園さんは「 丹精込めた」という域を越えて「野菜の個性を生かしてのびのび育てる」という境地に達したようです。
「デジマジャガイモ」

「ピーナツカボチャ」、

つい最近NHKの「ためしてガッテン」でネギの効用の回をみたばかりで「下仁田ネギ」も楽しみです。

「白菜」はちょうど鍋の季節に。

立派過ぎるほどの「ムラサキヤマイモ」の迫力にあらためてこの芋の持つパワーを感じました。毎年頂いてそのうまさにその都度感動します。

このムラサキヤマイモの種芋はご郷里の薩摩産と伺っているが、ムラサキヤマイモは元々台湾や沖縄経由で日本に入ったのでは。
ルーツのもっとその先は何千年前のポリネシアやメラネシアからカヌーでもたらされたイモだろう。
アウトリガーの小舟で島々を移り住んだ太平洋の海洋民は、タロイモなどを食料や保存食にして何百キロも小舟で移動した。
 ムラサキヤマイモのルーツを思い浮かべるだけで、南太平洋の太陽の輝きや潮の香りまで感じてしまう。
平川農園さんの栽培のお蔭で、神戸の市場では買えないムラサキヤマイモを今年も楽しませて頂く。

 宅急便が届いた夜は早速下仁田ネギを使ったネギたっぷりの「すき煮豆腐」をおいしく頂きました。   



健康や病気に関する情報を毎日見ていると、なんしろ野菜喰いに病気は縁遠いという内容が多いのに驚きます。
野菜を毎日食べていると、医者いらずの薬いらずで健康寿命を長く楽しめるようです。

1994年頃から1996年頃まで3年ほど、田無市(現西東京市)の工場に本拠地がある事業部の大阪営業部におられた平川さんは、
お互いの元勤務先の関西支社で たまたまそれぞれの所属営業部の席の位置が隣りどうしであったこともあって喋り合うようになり、
互いに気が合ってすっかり飲み友達になりました。彼は定年退職してから埼玉県の入間市から大分県の国東半島に移り住みました。
現在は猪の食害と闘いながら野菜作りとゴルフに精を出しておられるようです。
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高松城址(玉藻公園)の中の重要文化財【水手御門】  新居浜住人から讃岐便り その4

2016年12月21日 | 新居浜便り
愛媛県は新居浜市に住むI谷さんからの讃岐レポートその4です。
⇒重要文化財【水手御門】
すぐ横が海だったので藩主はこの水手御門から小舟で沖に待機させた専用船(飛龍丸)に乗船し遊覧を楽しんだり参勤交代に出かけた。
直接海に向かって開く海城独特の門で全国唯一の現存例として観光客も興味をもって見学している。👆

晴れておれば左から女木島、男木島、豊島、小豆島が望める



この北見櫓は海側からの侵入に対する見張り警護のものと思われる

「鞘橋」と呼ばれ二の丸から本丸に続く唯一の橋で万一の場合は切り落として本丸を守る細工がされていた。
当初は屋根がなかったが途中から屋根付きに改修された



 高松城跡出入口のすぐ横に琴平電鉄の出発駅があり琴平方面と屋島方面の2方向に観光移動出来るので便利



 本丸の天守閣があった石垣土台が当時の状態にようやく復元出来た。残念ながら廃城状態ですが現在も引き続き周辺の建造物の
復元作業が続いている

高松市はこの城を中心に栄えた城下町ですが天守閣は明治17年に老朽化で破却しその後の戦禍で無残な状態だった。
現在は 「高松城の復元を進める市民の会」 を中心にようやく石垣復元に辿り着いたが肝心の天守閣の詳細図面がなく
文化財保護法上、見かけだけの城では許可が出ない状況です。
今後も諦めずシンボルとして築城に向け資料集めに努力中している。(最近イギリス博物館で全景の写真1枚のみ発見された)

この日はお隣りの韓国から観光に来られ天守閣跡から見た光景が素晴らしいと驚きの様子でした

天守台から瀬戸内海を望む

 高松城跡の玉藻公園はJR高松駅にも近く堀に海水を取り入れた珍しい城ですが残された天守台、内堀、外堀図面から全体の広さを
推定すると恐らく日本一広い規模だった事が判明し歴史的価値が大きいといわれる。
下に見える青い屋根の橋が「鞘橋」



天守台から瀬戸内海の風景を眺めると穏やかな海を見渡せる。女木島(鬼ヶ島)まで約一里(4km)の距離。








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神戸湊川神社は初詣の準備にかかっていた。

2016年12月20日 | 神戸あちこち
ほぼ月に一度湊川神社に参詣しているが、曇りか雨模様の天気が多いのは不思議だ。











この日の楠公会館の昼食会の卓話はアメリカの新大統領についてだった。
 アメリカ中国ロシアの三皇帝(トランプ、習、プーチン)の覇権争いのせいで、これからの4年間の間に、軍事紛争が生じ、
局地紛争ですめばいいが最悪は第三次大戦に突入の危険性も出てきた・・。
軍隊はどこの国にも跳ね上がりがいて、彼らがことを起こすと、いったん動き出した戦争は止めようがないというのが歴史の教訓だが、
第二次世界大戦の時と違って、各国に核兵器があるんで、これが長距離弾道ミサイルに搭載されてあちこち飛び出すとえらいことになりそうだ。
 質疑応答の中では、トランプ氏は途中でもういいやと大統領職を放り出す可能性や、彼に投票したサポーターを裏切ることになった場合の
暗殺のリスクなどの話も交わされていた。



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最近の居酒屋E❝e❞のおばんざいは「チャンコ」や「蒸し牡蠣や鰯の煮つけ」など

2016年12月20日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食

軽四に新鮮な朝獲れの魚類を載せて、近所に週一回回って来る行商の魚屋さんがいい品を揃えているそうだ。なるほどイワシも牡蠣も旨かった。  楽屋ネタ。

   

御影石のサッカーボール

御影石のサッカーボールの写真

弓弦羽神社とサッカーの御縁の事
当社は1200年程前にこの地で熊野大神をお祀りしたのが始まりです。

八咫烏は、昔から熊野大神様のお使いとして知られておりましたが、近年は日本サッカー協会のシンボルマークの方が有名になってしまいました。

サッカー協会の方は3本目の足でサッカーボールをつかんでいます。
当社の八咫烏は弓弦から放たれた矢に乗って一直線に目標を向かう 導きの八咫烏です。ゴールに向かって一直線です。

御影の地は、日本サッカーの発祥の地と言っても過言ではありません。
阪神御影駅の北側、今のクラッセと西側の御影中学校の所に、御影師範学校がありました。師範学校とは学校の先生を養成する学校で、ここで日本初のサッカーチームができました。
その後、大正時代から始まった日本フットボール大会で、御影師範は初会より連続7回を含み11回も優勝をなしとげております。

又、六甲アイランドに拠点を移した、INAC神戸レオネッサも平成26年1月に必勝祈願の参拝にこられました。

そして御影は御影石でも有名ですが・・・このサッカーとのご縁をもって御影石でサッカーボールを作りました。このボールにも矢に乗った八咫烏がいます。真中にステンレスの軸が入っていて横にグルグルと回り、まさにピッチの中で、全方向にチャンスを窺がうかの様です。引用元。

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師走の花、アロエやツワブキ、シャコバサボテンなど

2016年12月19日 | 花・草・木・生き物
アロエの花は久しぶりです。👆
 あきらめていたシャコバサボテンの花が咲いていた。なんの手入れもしていないので申し訳ない気持ちだ。

ツワブキの花。夏の暑さで株そのものが消えかけていたが・・、良かった。ツワブキは半日陰の場所でないと成育できないようだ。

四季咲きツツジ(アゼリア)

2本の万両




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高松城址(玉藻公園)の中の重要文化財【披雲閣】  新居浜住人から讃岐便り その3

2016年12月19日 | 新居浜便り
愛媛県は新居浜市に住む50年来の友人I谷さんからの讃岐レポートその3が届きました
 ⇒重要文化財【披雲閣】は、かっては皇族の宿泊場所としてよく利用され、「波の間」には昭和天皇、皇后両陛下も宿泊された。
披雲閣は松平藩主時代には政庁及び藩主住居として使用。
 老朽化のため建替えされたが面積は半分になったようです。 しかし142畳敷の大書院や多くの部屋
があり茶会、舞踊や琴演奏その他各種イベントに年間を通じてかなり利用されている。👆
 披雲閣の入口玄関

やはり松盆栽では日本一を誇り外国でもブームで外国人バイヤーが多く訪れる

徳川家の葵の御紋が刻印された昔の井戸跡と思われる



丁度インド音楽の演奏が終わったところ。 許可を頂き珍しい楽器を拝見。

高松城の藩主は徳川家康の子孫が治世してきた系図。



第五代頼恭は降雨量が少ない気候を活かし 【讃岐三白=塩、綿、砂糖】を特産品として確立させた。
特に砂糖は濃い色の琉球砂糖のみだったが1790年(寛政二年)に日本で初めて白砂糖の国産化に成功し財政を立て直した。
白砂糖は高度な精製技術を要するため苦労の連続で成功するのに20年の歳月を要した。
廊下には全国の全て城の写真が飾っていたがこれはその一部分

松の手入れがよく行き届いている





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最近の「ウチメシ」は麺類が多い。

2016年12月18日 | ある日のランチ









 楽屋ネタ。



2016.12.11 〜 2016.12.17
閲覧記事数:13193 PV、訪問者数:2635 IP、ランキング:1944 位  / 2644601ブログ
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栃木県大田原市のPRビデオ 「大田原ほっこりホームビデオ」は愉快だ!

2016年12月18日 | ゲストルーム
2016/12/14 に公開
移住促進PR動画「大田原ほっこりホームビデオ」シリーズ
撮影秘話をサイトでチェック!

http://ohtawara-miraijyuku.jp/pr/

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ちょっと早いが二ゲツ会の忘年会を神戸中央市場の「丸高食堂」で

2016年12月17日 | 食べる飲む
12月某日、二ゲツ会のフルメンバー5人が13時にいつも通りに地下鉄中央市場駅の改札口に集合しました。
 JR神戸駅で地下鉄海岸線に乗り代えると中央市場駅は一駅です。



3か月ぶりに見た「イオンモール」の工事現場はもう基礎工事が終わって建屋工事に進捗していました。👆

「イオンモール」は元の中央市場跡地に来年の7月にオープン予定です。地下遺跡の調査が長引き開場が遅れました。
このあたりは平清盛の「大輪田泊(おおわだのとまり」)があった場所で、ある意味神戸の中世の歴史が地中に埋まっている歴史的なゾーンです。

市場の管理棟の2階に食堂街があります。




阿智胡地亭とは同年兵の食堂のオーナーはほぼ引退で、店の運営はお嫁さんと息子さんの代に移行中のようです。

昼に飲む日本酒はよく効きます・・。にもかかわらず三宮に戻ってからのもう一軒がいけんかったです。

 

 
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新居浜住人から讃岐の国(香川県)レポート その2  高松城址ー玉藻公園

2016年12月17日 | 新居浜便り
愛媛県は新居浜市に住む50年来の友人I谷さんからの讃岐レポートその2が届きました
【高松城跡 (別名=玉藻公園)】
入口のモニュメント(石は屋島東ある地元の庵治石を使用)

(高松城跡入口)
高松城は豊臣秀吉の指示で生駒親正が54年統治しその後は徳川家康の系列にあたる水戸黄門の兄にあたる松平頼重が
第一代藩主として赴任し最後の第十一代までの228年間を松平家が治世した。

入口付近では菊花展が開催されていました。







三の丸の内堀から天守台に向けて艪を漕ぐ観光船





堀に泳ぐのは正真正銘の鯛です。この場所に住みついており海城ならではの光景です






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