奄美 海風blog

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NHK「鶴瓶の家族に乾杯」龍郷編を見て西郷について学ぶ

2009年05月19日 | 歴史 民俗

↑ 梅雨明けのきのう18日 「鶴瓶の家族に乾杯」龍郷編 放送

西郷隆盛上陸の地から、番組でたづねた西郷南洲謫居跡 (さいごうなんしゅうたっきょせき)のある龍郷入り口までをノーカット。(そのあと、メモリーカードの異常のためカット 後日編集予定)

西郷松 地図

きのう18日(月)「鶴瓶の家族に乾杯」

あまり熱心に見なかったのでいまいち意味がうつらんかった。
が、ゲストの渡辺えりさんが、観光ガイドがしたいとか言っていたのは
なんとなくわかるような気がした。

沖縄観光から奄美大島をおとづれるお客さんは「沖縄(本島)より自然が身近」。本島で生まれ育った沖縄のお客さんも「奄美に来ると心が洗われる、沖縄がなくした何かがある。言葉や習慣が同じい」とかおっしゃる。

で、あまりにも知られていない奄美の歴史について学ぶ。

まずは、番組にあった西郷隆盛から

薩摩藩の下級士族の出身の西郷は通称吉兵衛 号を南洲
藩主斉彬(なりあきら)に取り立てられ江戸詰め。
将軍継嗣問題で慶喜擁立運動に東奔西走。
見聞を広め、政治に対する見識を深める。

1853年(嘉永6年)ペリー来航 浦賀  1854年日米和親条約(下田、函館2港開港) 1858年(安政5年)日米修好通商条約(ハリス)井伊直弼が無勅許で。治外法権を認め、関税自主権のない不平等条約。

井伊直弼大老就任とともに始る安政の大獄で
西郷は幕吏の追及をを受け僧月照とともに帰藩。
しかし寵愛を受けた斉彬はすでになく、
佐幕論に傾いていた薩摩藩からも追われ、
1858年月照とともに錦江湾(鹿児島湾大崎鼻沖)に身を投じ自殺を図るが、ひとり息をふきかえし助かる。
藩の勤王派による西郷助命嘆願運動が功を奏し、
斉彬の父君斉興(なりおき)の裁量により
名前を菊池源吾と変えて、奄美大島龍郷に潜居を命じられる。
この時、薩摩藩は、別の罪人の遺体を西郷の遺体に擬して幕吏の検視を受ける。
(なので「オンミツ」が奄美までやってくる心配はあまりなかったのではないか)
砂糖積船「福徳丸」に身をゆだねた西郷が龍郷村アザン崎に着いたのは安政6年(1859)正月12日、彼が33歳のとき。(名瀬市誌)
「福徳丸」は阿丹(アダン)やソテツ、ガジュマルなどの自然の防風林の中の松の木(西郷松 Saigo Pine)に艫綱を結んだ。

奄美大島を訪れたなら、ぜひ行っておきたい名所のひとつである。

↑ 番組に出た 赤尾木海岸 2 年前アップ(今ではも少しうまく編集できるけど(笑)
再生回数 46,680 回


夏場所 十日目 

2009年05月19日 | 大相撲

大相撲5月(夏)場所 十日目

西十8 旭南海 7勝3敗○上手投げ●若荒雄6勝4敗  西十2
東幕6 蒼国来 3勝2敗 ○  掬い投げ ●  2勝3敗  里山 東幕11

蒼国来 栄吉(そうこくらい1984年1月)
中国内モンゴル自治区出身
身長186cm、体重117kg。
最高位は東幕下2枚目(2007年11月場所)

立ち合いです。

里山、先につっかけ、まった。

二度目、踏み込みがない。

蒼国来、里山を中に入れてはいけない、という動き。

里山、いなしたが、効かず、
蒼国来は引いてしまい、
両者まわしが取れず土俵中央で
組み合うかっこう。

里山は、蒼国来の左を警戒しているのか、動かない。

蒼国来、上体を左右に揺らしながら、左の差し手を深くしようとする動き。
胸が合った瞬間、蒼国来はそのまま左から、持ちあげるような豪快な掬(すく)い投げ。
あざやかに決まる。

掬い投げ goo大相撲 決まり手一覧

まわしを取らずに差し手を返し、相手のわきの下からすくうように投げること。

蒼国来は中国人力士としては1974年清乃華、以来2人目、内モンゴル出身者では史上初の関取をめざしている。


奄美、梅雨入り(18日)の ソメイヨシノ観察 No.12

2009年05月19日 | 桜の観察

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湯湾岳公園入り口 ソメイヨシノ  散る

↑ きのう18日、奄美と沖縄地方が梅雨入りした。

奄美は平年より8日遅く、去年より4日早い。

梅雨明けの平年値は、奄美が6/28 沖縄が6/25

↑ これは、世界的にもめずらしい梅雨のソメイヨシノの花と思う。ですが、めずらしがる人は多いわけではない(笑)

この木は、5/15日ごろ、去年より一ヶ月もおそく満開(開花のピーク)になった。

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沖縄でも、ソメイヨシノの木は生育しているが、まだ開花の報告はないという。

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ここ7合目にいたる、下の坂道の並木、数十本も、わずかながら、ほとんどの木で開花が認められた。

 

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つれゞ草 上
第19段 折節 抜粋 全文このブログ

折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。

鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、墻根(かきね)の草萌え出づるころより、やや春ふかく、霞(
かす)みわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも、雨・風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万(よろづ)に、ただ、心をのみぞ悩ます。

 

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つれゞ草 下
第137段 花は盛りに 抜粋 全文このブログ

散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ。

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「この枝、かの枝、散りにけり。今は見所なし。」などは言ふめる。

 よろづのことも、始め終はりこそをかしけれ。

 

・・・ということで、なほも観察つづく

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