奄美 海風blog

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読書 『我れに義あり』 and  『新左翼とロスジェネ』

2009年05月06日 | 本と雑誌

090506book たまたま一緒に買った2つの本。

何の関連性もないが、つづけて読むと
頭の中で、奇妙な、カガク反応をおこすことがある。

ちょっといいかげんですが、以下、そのカガク反応を書きます。

キーワードは、我れかな。

我に義あり―西南戦争勝利なき反乱
竹井 博行 (著)amazon

2007年は、西南戦争(1877 明治10)から130年目、それを機に南日本新聞で連載された。先週、名瀬の書店の郷土史コーナーでみつけた。

タイトルの意味が最後までわからなかった。
今でもわかっていないのかもしれない。
あの薩摩の「義を言うな」を念頭においていたからだろうか。
以前むかし、鹿児島のTVで「義を言わせて」とかいう(議だったか)タイトルの討論番組を見て
義とは、議論とか、反論とか理屈のことかと思っていたが、そうばかりではなさそうだ。

ぎ 【義】

(1)儒教における五常(仁・義・礼・智・信)の一。人のおこないが道徳・倫理にかなっていること。
「君臣の―」
(2)血縁のない形式的・倫理的な親子・兄弟などの関係。
「兄弟の―を結ぶ」
(3)言葉の意味。
「斤には、まさかりの―がある」
(4)〔仏〕 教え。教義。
(5)キリスト教で、神・人間がもつ属性としての正しさ。また、両者の関係としての正しさ。 ――を見てせざるは勇(ゆう)無きなり 〔論語(為政)〕人として当然行うべきことと知りながら、それを実行しないのは勇気がないからである。

「みんなに義あり」というタイトルの前書き(著者の上司か)が、あげた、あるエピソード

「将校に兵隊の苦労がわかってたまるか」
と詩人ががからむ。

加計呂麻で特攻隊長だった作家が
めずらしく
「兵隊に将校の苦労がわかってたるか」
と怒鳴りかえした。

これは詩人の思い出話だ。
ともに鹿児島ゆかりの二人は会うとよく酒をのんだ。

給料をもらって戦争をしている「軍人に民衆の苦労がわかってたまるか」この詩人流にからむとすれば、こうなる。

我に義ありの「我」は西郷軍だけではない、官軍にもあった、と前書きは言う。
そして、家を、田畑を、自分や家族までをもフンタビラレタ側にも大声で叫んで構わない義がある、ともいう。

しかし、そういう前書き氏も、我々にしてみれば、
エリートのインテリに変わりはないのじゃないのか?エリートに民衆の苦労がわかるのか?
そう、思ったのは読後であったのだが。(われわれ、民衆とは?)

前書きは、つづけて

「西郷さんに限らずヒトはなぜ戦争をしなければならないのか、どうして戦争で泣かなければならないのか」。

「われわれの苦労がわかってたまるか」「単行本化された記事からもその声をお聞きいただければ幸いに尽きる」と2ページ分の前書きは結ばれる。

そこで考えた。

この「われわれ」とは誰か、そもそも、我とは何か?
歴史認識における「客観」とは?

そして主観とは?
この本の著者の意図とは別に?、とても哲学的に考えさせられた。

そう、考えたのも読後に、前書きを再読したときだった。

あまりに漠然としているのでこの哲学的考察は、しばらく保留する。(しかし奄美を考える上でだいじだ)

この本は、義とはなにか?と問う本ではない。
義は誰にあったとか主張するものでもない、だろう。

九州各地が戦場と化した西南戦争googleの決起から熊本城をめぐる攻防までを振り返り、田原坂での戦いを中心に両軍の死闘を浮き彫りにし、西郷隆盛たちが城山で終幕を迎えるまでの運命をたどる。

(新聞記者が)豊富な史料や資料を数多く読みこなし、予断も偏見も廃し、歴史の再現につとめた(前書き)

これまでの本にくらべると、多くのさまざまな立場の人たちにも記述がおよんでいるが、
しかし、「客観」的な記述からも、薩摩的なるもの(マイナスイメージも含め、それは現在の奄美にも大いにある。自分の中にもあることにも気づかされた)は、にじみでるし、浮き彫りにもなる。

それは、連載の文章の読みにくさからも、著者の緊張が感じられたほどだ。

「義を言うな」には「行え」という意味が含まれているのではないか。不言実行、実力行使。

「正義あり」ではなく「義あり」なのも薩摩的に思えてきた。勝てば官軍。

奄美のことがなかなな出てこないので、途中で読むのやめようかと思ったが
最後のほうになって次のように出てきた。

ほかに、西郷の命で、黒糖を売り船や武器を購入しようとした話や、私学校党が黒糖を奪い、三千円を手にいれた話などがあるが、「奄美の」黒糖とは書いてない。

県民の誰もが、好んで薩軍に加勢したり、金品を供したりしたわけではなかった。
運悪く参戦を強要されたのが、黒糖の自由売買制の実現を嘆願しようとした奄美大島の陳情団計五十五人。薩軍が挙兵した明治十)一八七七年二月に県庁に赴いたため、私学校党が支配していた県によって監禁された。釈放の条件として、高齢者や年少者を除く三十五人が従軍し、六人が戦死した。
黒糖の自由売買は明治政府が許可していたが、当時は県のつくった大島商社独占。藩政時代と変わらぬ専売制に苦しめられていた島民は、西南戦争のためにさらなる苦難を味わう羽目になった。

p 185 『 深刻な巻き添え』 家など消失、従軍の強要も

明治6年大蔵省は砂糖の自由売買を許可したが、島民の無知につけこみ利益独占しようとたくらんだ県に対し、「「嘆願」、古老の、「勝手世(かってゆ)たんぐぁん願い」と二つも願いをつける呼び方を、はげ~といって「われわれは」わらう資格があるだろうか。我およびわれわれの歴史性。すくなくとも涙なしでは笑えない。

この「陳情団」の顔ぶれ(彼らも島の富裕層ではないか、我の階級性)から、彼らがいだいていた期待は、龍郷で暮らしたことのある西郷の県に対する斡旋であったことが汲み取れる。

当時、西郷軍は敗色濃く、兵員不足を補うため鹿児島に帰ってきてたのは、黒糖の独占のための大島商社構想の黒幕であり、西郷軍の大小荷駄本部長の桂久武であったのも皮肉である。

改訂『名瀬市誌』 一巻 歴史編 p 557 名瀬市誌amazon 古書

取調べで「オ叱リ」の結果、何人かは従軍を「願い出た」とする本もある。

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新左翼とロスジェネ (集英社新書 488C) (新書)
鈴木 英生 (著) amazon

内容紹介
雨宮処凛氏推薦!
革命家?理想主義者?それとも「自分探し」?
ここには、壮絶な「世界への片思い」が描かれている。
二〇〇八年、未曾有の『蟹工船』ブームが巻き起こった。この現象は、若年貧困層らが抱く不満や、連帯への渇望を表しているのだろうか? また、巷に蔓延する閉塞感と八〇年前のプロレタリア文学の世界をつなぐバトンの在り処とは? 本書は、一九七五年生まれロスト・ジェネレーション(失われた世代)のジャーナリストが、戦後の新左翼運動とその周辺を描いた文学を紹介しつつ現代の連帯を模索した、注目作である。キーワードは―「自分探し」!

冒頭の奇妙なカガク反応は、「自分探し」だったのかも。
ちょっと説明を要しますが、以下、つづくかも。