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7月15日放送 第26回「西郷(せご)どん」の「西郷、京へ」 視聴率は12.2%

2018年07月17日 | 歴史 民俗

7月15日放送 
第26回「西郷(せご)どん」の「西郷、京へ」
の平均視聴率は12.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。

前週 特番は11.8%

25回、沖永良部編 12.7%

==写真の説明

名古屋場所も中日になり奄美大島では、はや稲刈りが行われている。
台風シーズン前に刈り取るのだ。

ドラマは半年が過ぎ、今回も島編を受ける展開で、

一言でいうと
5年にわたる島暮らしで、西郷が人間的に、そして学問的にいかに成長したか、
その姿の京でのお披露目、といったところ。

それと、
後半の「革命」にむけての重要な英傑である勝海舟(遠藤憲一)、坂本龍馬(小栗旬)、
それに脇役の目玉になりそうな、公家のくせにビンボーそうな岩倉具視(笑福亭鶴瓶)に西郷を思い出してもらいながら・・
ま、これからの予告編みたいだった。

==写真2の説明

第25回で
西郷が鹿児島へ帰るのを「革命」の旗を振って見送る川口 雪篷の姿から
三色旗トリコロールをはためかせ、フランス革命で民衆を導く自由の女神の写真を思い出した。(La Liberté guidant le peuple正確には民衆を導く自由1830年フランス7月革命 ドラクロワ 川口 雪篷は沖永良部島で西郷にナポレオンデンを餞別として贈っている)
教科書の写真や挿絵は、文字列とは違い、つよく印象に残るものだ。写真はカラーではなかった。

高校卒業後「フランス革命と明治維新」とかいう本を読んで、歴史の面白さに目覚めたような記憶がある。
そんなもの当たり前に読んでいた周りのものに驚きもしたものだ。

それで思い出したのだが、
もっとも西郷も斉彬に庭方役に任命され江戸に出たのは1854年 26歳 4月のことだった。
他の志士たちと比べると相当な年齢差だ。

そして
斉彬の指示で、全国の尊皇志士に大きな影響を与えた水戸学藤田派の学者藤田東湖に会い、若き天才橋本左内らと共に深い感銘をうける。
鹿児島と江戸の知的環境の違いの西郷も大いに驚いたはずだ。

(徳川御三家のひとつ水戸家とは何か?薩摩藩と水戸藩のつながり、共通点と相違点などおさえておけば、幕末史、それに西郷どん、それに島の歴史の理解に、おおいに役立つと思う。 あと五摂家筆頭の近衛家との関係でしょうか)
常陸水戸藩の第9代藩主斉昭は、ドラマでもすでに登場している。

ドラマで薩摩と久光をイモとののしる、ひー様(最後の将軍・徳川慶喜)はこの徳川斉昭の実父だ。ひー様は、御三卿一橋徳川家の第9代当主になり、ドラマでは現在、将軍後見職などを務めた)

西郷も井伊直弼の安政の大獄で終われる身になり、島にやってくるのだが、斉昭も井伊の激怒(一橋慶喜らと江戸城無断登城)で水戸での永蟄居を命じられ事実上政治生命をたたれることになった。

沖永良部島からもどった西郷どんは、
1864年36歳になっていた。

その西郷へ対する京での期待が、いかにすごいか、というのが今回の力点だが、
初めての江戸から10年が経っているが、その半分は島暮らしである。

島での、のびのびした表情から一転して見慣れてあの重々しい西郷隆盛顔に変わる演技はさすがさ。

顔といえば今回も国父・久光の顔芸が今回も光った(久光は実はあんなバカ殿風ではなかったということも描かれるのだろうか)。

島暮らしでがまんつよくなった西郷が強調され、

最後の場面

酌をしながら

一橋様は井伊様とは違います。
幕府が守らにゃきゃならぬのは幕府ではありません(←薩摩弁が消えちょる)守るべきものは民でございます。だれよりもまず、か弱き民でございます。

神妙な顔で

お前は変わらんなあ

あれから今日まで、おいはさらに多くの民とかかわってきました。攘夷か開国か、それを考えるためにも、まずは、民の暮らしを守ることを考えてたもんせ(薩摩弁もどる)
強きものが弱きものを守る、それこそが、まつりごとではありませんか。

(島編では、西郷は、本土とは違う文化の島で多くの人に出会い、子供たちに分け隔てなく読み書きを教えたりしてきた)

「何いってんだい、お前だいじょうぶか」



島での体験と読書が西郷えお学問的にも成長させている
島帰りの西郷が次期将軍のこころを動かすのだった。

(中略)

話は進み、ひーの身代わりが何者かに暗殺される。
世情騒然になり、身ににせまる危険にうろたえた、ひー様は、薩摩の軍事力がほしくなる。

久光のあやまらなければならない。
(イモ、イモとバカにしてはいけない、中国から沖縄、奄美を通じて鹿児島へ伝わたイモで人口が増えたことこそが、薩摩の軍事力の背景であるばかりでなく、
江戸をふくめ、広く日本から飢饉による人口減をおさえたのも事実であることは、この時点でひー様お気づきだあろうか)

今回、島から京へ一転といえば、もう一つのひー様の、表情の豹変ぶり、その顔芸に注目だ。

ひー様、かしこまる西郷ににじりより

「こういう時だからこそ、こころとこころで向きあいたい強き者がおる」

ひー様慶喜は右手で西郷の左手を強くとって

「お前だ・・西郷」と言って左手でも強く握る慶喜。

その表情は、これまでのひねくれた遊び人町人風から、天真爛漫な少年のような表情に一変する。

次にアップされる西郷の顔は、オープニングの純粋な田舎少年風になっていて一瞬とまる。

「お前の熱いこころを俺にくれ」

「薩摩は私とともにある」「西郷、信じておるぞ」

この時の慶喜の表情のあまりの豹変ぶりに
顔をあげた西郷は、すぐに目線を落とし、驚いたようにかしこまり、一礼する。

音楽が重苦しくなって、慶喜の口元がすこし曇る。カメラは口元しかとらえない。

西郷が再び顔を上げるが、すぐに笑顔に戻った慶喜は足早に退室し、

西田敏行「慶喜の声の奥(顔の表情ではない)に、なにか不気味なものを感じる吉之助でありました。・・・
今宵はここらでよかろうかい」

つづく



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