街道の裏手に沿って大きな川がある。
この町を越すと名前が紀ノ川となるが、吉野からこの町までは吉野川と呼ばれている。
今では草の生える川原であるが、子供の頃は、様々な大きさの石にびっしりと覆われた、川原だった。
子供の頃夏には、殆どの時間をここで過ごした。
水着と藁草履で、家を走り出る。路地を抜けるとすぐ川原である。
川原に干してある真っ白なシーツを踏まないように、水辺まで、ヒョコヒョコ飛ぶように走る。
日焼けした子供たちの天国であった。
この川筋から生まれたオリンピック選手が何人かいる。
スイミングプールなどなかった時代の事である。
あの柔道野村選手のお母さんも、この川のある町で育った水泳選手である。
今は、川で遊ぶ白鷺の姿だけであるが、夏から秋にかけては、梁漁があり、観光に寄与しているし、子供たちのためには、川を学ぶ自然環境も整えられている。題して「水辺の楽校」。「がっこう」と読ませているのが面白い。
この町を越すと名前が紀ノ川となるが、吉野からこの町までは吉野川と呼ばれている。
今では草の生える川原であるが、子供の頃は、様々な大きさの石にびっしりと覆われた、川原だった。
子供の頃夏には、殆どの時間をここで過ごした。
水着と藁草履で、家を走り出る。路地を抜けるとすぐ川原である。
川原に干してある真っ白なシーツを踏まないように、水辺まで、ヒョコヒョコ飛ぶように走る。
日焼けした子供たちの天国であった。
この川筋から生まれたオリンピック選手が何人かいる。
スイミングプールなどなかった時代の事である。
あの柔道野村選手のお母さんも、この川のある町で育った水泳選手である。
今は、川で遊ぶ白鷺の姿だけであるが、夏から秋にかけては、梁漁があり、観光に寄与しているし、子供たちのためには、川を学ぶ自然環境も整えられている。題して「水辺の楽校」。「がっこう」と読ませているのが面白い。