この町から峠を一つ越えると大和平野が視野に広がる。
その峠を、風の森峠という。いつも車で行き来している峠に、風の森神社という小さい小さい社のあることを知ったのは、つい最近である。祭神は志那都比古神といい風神である。
<葛城地方は、日本の水稲栽培の発祥の地とも言われ、風の神は五穀の実りを風水害から守る農業神として、古代から祀られてきた。>
「晩秋の万葉大和路」の講師・万葉植物研究家・尾上ツヤ子さんから、当日頂いた資料や説明である。
ふるさと再認識の日であった。
あまり近すぎて全体が撮れなかったが、和泉式部お墓と言われているそうだが、真偽のほどは分からないとの事。
ネット検索をしてみたら、次のような記事を見つけた。
<大阪府下を中心に、和泉式部の墓や供養塔は各地にあるが、これは女性遊行宗教者がイズミ式部の名で各地を回り、信仰と結びつけて式部の伝説や古跡を残したためで、この墓もそうしたものであろう。>
この墓についての記述ではないが、これを読む限り,風の森峠に和泉式部の墓と言われるものが存在するのも納得できる。
百人一首に、「あらざらむ此世の外の思ひ出に今ひとたびの逢ふ事もがな」とある作者の墓と言われるものがこの地にあることが、一種の感動であった