通称藤助・賽郭と号し代々葛粉の製造に携わってきたが、若くから動植物を愛好し本草を学ぶ。
40歳からは家業を番頭左兵衛に託し、本草の研究に打ち込んだ。
『賽郭は まだ死にもせず 生きもせず 春秋ここに 楽しみぞする』
という辞世の句を残して78歳で亡くなった。
左の坐像は賽郭夫妻とその左下に、一生無妻で主人に仕えた忠僕左兵衛の木造が安置されている。
賽郭の子武貞が親の偉業を子孫に伝えるために建てたといわれている。
賽郭の一番くつろいでいる時の姿勢で木造。
これは、その傍の説明板に書かれていた。
森野旧薬園で出会った花や草 | |||||||||
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