新緑が美しく、深い谷を流れる水は澄み切っている。祈りの山から流れ来る水の清らかさを、橋の上から見ていると、心まで洗われるような気がする。
大峯山がここから望むことができる。
この橋を渡った遥拝所で、大峯山に向かって先生の口調に合わせて唱和した。
「懺悔、懺悔、六根清浄」(さんげ、さんげ、ろっこんしょうじょう) 「懺悔、懺悔、六根清浄」(さんげ、さんげ、ろっこんしょうじょう)
「ありがたや ありがたや 西の覗きに懺悔して 弥陀の浄土に いるぞ嬉しき」 今まではこれらの祈りの言葉は、行者さんが行を行うときの祈りの言葉だと思っていたが、女人禁制でお山には入れないけれど、こうして人としての大切なことは、人間の持つ六つの感覚機能である目・耳・鼻・口・身体・心を清浄にして心を大切にしていくことを説いた修行で、現在にも通じるものだと学んだ。
私のブログでは何回もこの写真をUPしている。ここからは祈りの道であるという意識を持って入峯する行者さんを見送ってきている。
母公堂の扉がこの日には開けられていた。このお堂の横に「女人結界門」という石柱が建っている。もうずいぶん昔になるけれど、弟に結界門まで連れて行ってもらったとき、ここが結界門だと思ってここから引き返したことがあった。その時には結界門はもっと奥の方まで変更になっていたのを二人とも知らなかったのだった。
お堂には役の小角(行者)の母「白専女(しらとうめ)が祀られている。ここにリンクさせていただいたので、興味のある人は一読されたい。
母公堂のいいつたえというパンフレットを頂き、般若心経一巻を唱えてお参りした。
お堂の横の慈母観音さまのなんと優しい表情だろう。
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