バスの窓の外には、お馴染みの大阪風景を見るのも面白い。長い間この辺りには来なかったなぁと~~~。
最後のお目当ては通天閣。見上げたり傍を通ったりはしているが、上ったのはいつの頃かもう忘れてしまった。
こんな機会でないと上る事はおそらくなかったはずだ。ところがバス3台の人数がエレベーターで上るのは、まぁなんと時間の掛かることか。こんな団体さんと一緒になったほかの人には、お気の毒だった。自分たちはそれを承知なので仕方がないと思いながら、おしゃべりをしながら待つ。
エレベーターで2階まで行き、そこで乗り換えて5階の展望台まで。そのエレベーターが動き出すと暗くなり、天井に青いビリケンさんが映し出される。ビリケンさんのユニークな表情に見下ろされながら、87,5m地点へ。
展望台から見た風景をカメラに。しかし方向を記録していなかったので、どれがどの方面かは分からないが、これを夜に見たら灯りが美しいだろうなぁと思いながら、UPしている。
ビリケンさんは幸運の神様として、通天閣を支えてきた本当に愛嬌のある顔つきである。全身をカメラに収めたかったが、足の裏に願いをかける人たちがどんどん並んで、結局そのお願いの足の裏のみを撮る。この手の人は何をお願いしているのか、遠慮がちにそっと触れているって感じである。それでもビリケンさんはちゃんと叶えてくださいますよ。
さて、この手の人は撫でるというより、力任せに足の裏にタッチしてしっかりお願いを聞いてもらっている様子に思わず微笑みたくなる。 私もちゃんとお願いをした。お迎えが来る日まで元気でありますように~~~。
上るときあれだけ待ったのだから降りるときも混みあうだろうと、早々にビリケンさんにご挨拶したら降りてきた。
通天閣の中でみんなばらばらになったので、とにかくバスの駐車場を目指して、じゃんじゃん横丁を歩く。目の前のスパワールドの駐車場だったが、建物があるのにバスには辿り着けなくて、ウロウロ・・・
一緒にいた人とあっちへ行ったり、戻ったりよく分かっている場所なのに、困った、困ったと言いながらも串カツのお店をちょっと覗いてみたりはしたが、お腹には入りそうもなく、再び駐車場探し、挙句の果てはその辺にいたおっちゃんにたずねると。
スパーワールドの階段を上りきったら、そこが駐車場だと教えてくれた。この温泉には友だちと、何回か来たがいつも電車と地下鉄を使ってのことだったので、全く駐車場の記憶はなかった。
スパワールドの階段へ行く少し手前でこんな石標が目に入った。「大阪国技館跡」・碑文には「大阪相撲の興行場所として、大正八年(一九一九)この地に大阪国技館が建設された 第二八代横綱朝日山が大阪市の土地を借り受け建設したもので 昭和戦前までこの地にあった」と記されていた。
国技館が大阪にあったとは、初めて知った。「大阪場所」は知っていたものの、大阪に国技館があったのだ。これは大発見だ。駐車場探しにうろうろしていたから、この石標と出会えたといえる。
これに興味があったので帰ってから調べてみた。
『所在地:浪速区恵美須東3丁目4番
大阪と相撲とのかかわりは古く、江戸とならんで相撲の興行が盛んで、大阪相撲の伝統が築かれていました。明治11年(1878年)には大阪相撲協会が設立され、明治38年(1905年)に難波新地に常設の興行場所が設けられました。
大正8年(1919年)9月には、東京両国の国技館に対抗して、この地に鉄筋コンクリート・煉瓦造、建築面積約2,000平方メートル、ドーム式の大阪国技館が建設されました。しかし協会内部で紛争が続き、組織自体が衰退していきました。昭和2年(1927年)には東西相撲の合併で大日本相撲協会が設立されると、相撲興行の中心は東京の両国国技館となりました。国技館の建物はしばらく残っていましたが、第2次世界大戦前に解体されたようです。』
見学研修の副産物となった。
お し ま い
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