小正月も済んでお正月はどんどん向こうに行ってしまったようなこの日、気がかりだった橿原神宮への初詣を今日やっと果たした。
大安吉日であることと、明日から雪の予報が得ているので、曇り勝ちながら、今日の日はお参りにはいい日であるとの判断で、お昼前に出かけた。
何しろお正月のあの人ごみの多さには、静かにお参りしたいという私の気持ちがついていかない。
勇躍する2頭の馬の大絵馬を見ながら、今年の動きがこのように元気であって欲しいと願う。
一の鳥居で帽子を抜いて拝礼すると、、さくさくと自分の砂利の音を今神域を歩いているという気持ちで、身が引き締まる。その静寂に、来し方行く末を思い描いて歩む。勿論参道の真ん中を歩まない。神様が歩いていらっしゃる場所だと聞いたことが頭に残る。
今年は紀元二千六百七十四年。日ごろ使わない紀元の年号を橿原神宮にお参りすると再認識する。
穏やかな年でありますようにと、昨年の異常さを思い、今年は少しでも穏やかであることを願わずにはいられない。
お参りを済ませてから、深田池の水鳥を暫くの間見ながら、ここでもいい時間の流れを満喫する。
池の岸の桜の蕾が、千早赤阪村で見たときと同じように春への準備を始めかけている。
季節の巡りのある日本はいいなぁとつくづく思う。次の季節への期待が常について廻る。希望がある。