カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

河内観心寺の馬上の楠公さん

2014年01月19日 | ちょっとおでかけ

 

午年の今年、1月中に社寺でお目にかかれる馬さん。できるならば地上を駆ける馬さんを見たいと思いつつ、行動はそうできない。

  

 金剛山越えで行くのが一番早いのだけれど、もし残雪でもあればとの不安があり、水仙の花を見た日、雪のない場所であることを確認して、観心寺へのお参りとなった。

いわば、河内散策二段とも言える、「馬上の楠公さん」像との出会いの日である。

  

この銅像は境内の中にあるのでなく駐車場横の広場で、観心寺のお寺の境内を囲む築地塀を背にして、その勇ましい姿を見ることができる。

銅像が逆光なので、馬や楠公さんの厳しい表情を捉えることだできないのが残念である。位置をずらせながら4枚の写真を撮った。

 

 

 

             

この上までが観心寺の画像である。何度かお参りしているので、境内内のことは省くことにする。小さい写真をクリックして大きい画像でご覧いただければと・・・・。

 

 

郷土資料館の前庭には、「至誠一貫」、菊水の家紋と共に、楠木正成の勇ましい乗馬姿の像の描かれた立派なレリーフが建立されている。

 

 

その傍らには「楠公誕生地」と刻まれた石柱があり、これはかなり古い時代に建立されたように苔むしている。

地域の誇りとして大切に扱われ、この村が生んだ偉大な武将に因んだ数々の足跡など、訪れる人も多いようだ。

楠木正成

  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より
 
楠公誕生地(大阪府南河内郡千早赤阪村)楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。

建武の新政の立役者として足利尊氏らと共に活躍。尊氏の反抗後は南朝側の軍の一翼を担い、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害した。鎌倉幕府からは悪党と呼ばれた。明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。

 

 
コメント (2)
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