お彼岸の入り。
8時に家を出る。初めは義父の祖先、親族のお墓のある小高い場所だ。十数基の石碑が山の中腹にある。中には刻まれた文字の読めないものもある。かなり昔の先祖が、ここに眠っている。昔は土葬だったから、たしかに眠っているという感じがする。ここからわが町が一望できる。
すでに誰かがお参りをしてくれて、新しい花が手向けられている。一族のお墓が固まっていると、こういう点大変ありがたい。花を供え、香を手向け、般若心経を唱える。
ここに登る時、心拍数が早くなったのが気にかかる。ここ数日血圧が高くなっているせいかも知れない。
次に実家のお墓だ。
両親は八十過ぎまで存命で、亡くなるまで精神的にずいぶん支えてもらった。
「私が、この世にいる事が可哀想だと感じた時は、すぐそちらから呼んでね。」とお経の後、墓石に話す。ここに来てまでも、両親に頼っていると、可笑しくなる。
境内に白い萩が優しく咲いていた。
三番目は、叔母の所だ。父の一番上の姉で、嫁いだが、連れ合いとは若くに死別し子供がなく晩年は、母が世話をしていた。子供のなかった叔母は、私を自分の子のように可愛がってくれた。リュウマチを患い寝たきりの叔母を母は実によく面倒を見ていた。
このお寺は、
史実にある天誅組縁の寺で、刀傷や、討ち取った首を洗った手水鉢などが現存している。
最後は我が家のお墓である。
可愛い六地蔵さんが、今日も迎えてくれる。
ここに移り住んだ時、お墓参りがし易いように、車で5分の所に墓地を決めた。お陰で毎月の月命日には気軽にお参りできる。
つい一週間前にもお参りしたばかりで雑草も生えていない。お花、お香を手向け、在家のお経をフルコース、しっかり唱えてくる。
すっとした気持ちで、家に帰るとお昼前になっていた。
四箇所お墓回りの 彼岸に住む人達との対話の半日だった。
8時に家を出る。初めは義父の祖先、親族のお墓のある小高い場所だ。十数基の石碑が山の中腹にある。中には刻まれた文字の読めないものもある。かなり昔の先祖が、ここに眠っている。昔は土葬だったから、たしかに眠っているという感じがする。ここからわが町が一望できる。
すでに誰かがお参りをしてくれて、新しい花が手向けられている。一族のお墓が固まっていると、こういう点大変ありがたい。花を供え、香を手向け、般若心経を唱える。
ここに登る時、心拍数が早くなったのが気にかかる。ここ数日血圧が高くなっているせいかも知れない。
次に実家のお墓だ。
両親は八十過ぎまで存命で、亡くなるまで精神的にずいぶん支えてもらった。
「私が、この世にいる事が可哀想だと感じた時は、すぐそちらから呼んでね。」とお経の後、墓石に話す。ここに来てまでも、両親に頼っていると、可笑しくなる。
境内に白い萩が優しく咲いていた。
三番目は、叔母の所だ。父の一番上の姉で、嫁いだが、連れ合いとは若くに死別し子供がなく晩年は、母が世話をしていた。子供のなかった叔母は、私を自分の子のように可愛がってくれた。リュウマチを患い寝たきりの叔母を母は実によく面倒を見ていた。
このお寺は、
史実にある天誅組縁の寺で、刀傷や、討ち取った首を洗った手水鉢などが現存している。
最後は我が家のお墓である。
可愛い六地蔵さんが、今日も迎えてくれる。
ここに移り住んだ時、お墓参りがし易いように、車で5分の所に墓地を決めた。お陰で毎月の月命日には気軽にお参りできる。
つい一週間前にもお参りしたばかりで雑草も生えていない。お花、お香を手向け、在家のお経をフルコース、しっかり唱えてくる。
すっとした気持ちで、家に帰るとお昼前になっていた。
四箇所お墓回りの 彼岸に住む人達との対話の半日だった。