カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

墓参デー 4箇所のお墓参り

2004年09月20日 | ★ 日々の呟き
お彼岸の入り。
8時に家を出る。初めは義父の祖先、親族のお墓のある小高い場所だ。十数基の石碑が山の中腹にある。中には刻まれた文字の読めないものもある。かなり昔の先祖が、ここに眠っている。昔は土葬だったから、たしかに眠っているという感じがする。ここからわが町が一望できる。
すでに誰かがお参りをしてくれて、新しい花が手向けられている。一族のお墓が固まっていると、こういう点大変ありがたい。花を供え、香を手向け、般若心経を唱える。
ここに登る時、心拍数が早くなったのが気にかかる。ここ数日血圧が高くなっているせいかも知れない。
次に実家のお墓だ。
両親は八十過ぎまで存命で、亡くなるまで精神的にずいぶん支えてもらった。
「私が、この世にいる事が可哀想だと感じた時は、すぐそちらから呼んでね。」とお経の後、墓石に話す。ここに来てまでも、両親に頼っていると、可笑しくなる。
境内に白い萩が優しく咲いていた。
三番目は、叔母の所だ。父の一番上の姉で、嫁いだが、連れ合いとは若くに死別し子供がなく晩年は、母が世話をしていた。子供のなかった叔母は、私を自分の子のように可愛がってくれた。リュウマチを患い寝たきりの叔母を母は実によく面倒を見ていた。
このお寺は、
史実にある天誅組縁の寺で、刀傷や、討ち取った首を洗った手水鉢などが現存している。

最後は我が家のお墓である。
可愛い六地蔵さんが、今日も迎えてくれる。
ここに移り住んだ時、お墓参りがし易いように、車で5分の所に墓地を決めた。お陰で毎月の月命日には気軽にお参りできる。
つい一週間前にもお参りしたばかりで雑草も生えていない。お花、お香を手向け、在家のお経をフルコース、しっかり唱えてくる。
すっとした気持ちで、家に帰るとお昼前になっていた。
四箇所お墓回りの 彼岸に住む人達との対話の半日だった。
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夕焼けに想う

2004年09月19日 | ▼ 思い出綴り
此の頃、夕焼けを美しいと思う気持ちが、とみに増している。
これって、自分が人生の夕焼け時にあるからかなあと、寂しく考えたりする。

在職中、仕事を終えて、息つく暇もなく、夕焼けの橋を渡って、夫の待つ病院に向かったとき、
「明日も、天気だ。」そんなことしか頭の中になかったような気がする。
今、あの情景を浮かべると、川も、川べりの木々も、橋も、道行く人さえも染めていた、大きな夕焼けに、何の感動もし得なかった、心の貧しさが悔やまれる。
あの夕焼けを引っさげて、にこやかに、豊かな心で、夫の病室の扉を開けていたら、待ってくれていた人は、どんなにか癒されたろうにと・・・

やがて来る夜の帳の前の、静かな夕焼けの中で、越し方を思う。
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収穫の響き

2004年09月18日 | ☆ ふるさと・大和
早朝から威勢の良い機械の音がした。
窓を開けても、裏の田は黄金色のままだ。
裏に道に出て、西側に回ってみた。そこでは、もうすでに稲刈りが済んでいた。
彼岸花の咲く畦に、袋に詰められたお米が、いくつか置かれている。今日の稲刈りは、ご夫婦でしている。
機械で刈り取れない端の方の稲を、鎌で刈り、藁と籾を分けるため動いている、刈り取り機に入れている。籾は、袋に、藁は、粉砕されて田の戻される。
端を刈る作業だけ、人手がいるのだ。
昔は、時間と人手のかかった作業が、短時間で終わる。便利な機械だけに相当高額と聞いた。
先祖伝来の土地を守って米作りをしていく事の大変さを耳にする。
明日あたり、お天気だと私の部屋の窓から見える田圃からも、収穫の響きが聞こえてくるだろう。
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小鳥の落し物

2004年09月17日 | ☆ ふるさと・大和
今朝、爽やかな風の吹く庭に立って、青い朝顔の発見。
秋の朝顔。この庭に朝顔の種をまいたことがない。青い朝顔が顔を覗かせているのは、ラベンダーが密集している庭の一角だ。伸び放題のラベンダーの葉の間に二輪の朝顔が朝日を浴びている。
陽が高くなると萎んで、きっと目に触れなくなっていたことだろう。

今まで見かけなかったのだから、遅咲きなのか、遅蒔きなのか、とにかく季節外れの 花のない庭に咲いているのがいとおしい。

これは、庭に遊びに来る小鳥の落し物に違いない。春先や、冬の初めの頃に、植木の枝を揺すらせて遊ぶ小鳥の囀りを聞く。(鳥の名前を知らない私は、全て小鳥と呼んでいる。)それらの小鳥の排泄物の中から消化されない種が、目に触れない間に育って、今、花を咲かせたのに違いない。

表の塀際にも、そのようにして育った、「とべら」という木がある。五月頃に白い花を咲かせ、秋には赤い実をつける。植えたことのない木だが抜いてしまうのも可哀想だとそのままにしてもう数年、今では、私の背丈ほどになって、初夏に花、初冬に実の色を楽しんでいる。

田舎暮らしには、こんないいこともあると、小鳥の落としものならね、プレゼントに向き合う。
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カーテン・それは素麺

2004年09月16日 | ☆ ふるさと・大和
その日の会議は桜井市の素麺やさんで行われた。毎回は、公民館の一室でしているが、今回は、午前中研修、午後会議と昼食をはさむ為に、そこに設定されていた。
渋滞に巻き込まれたため、開始時刻ぎりぎりの到着で、危うく滑り込むことが出来た。
広い敷地の中の会議室の窓から、手入れの行届いた庭の緑が目に優しい。

昼食は会議室の隣にある素麺茶屋から運ばれた。
ごく細い素麺は喉越しがよくさすがは本場だと感心しながら頂く。二個の柿の葉寿司も大和の名物だ。それにデザートの蕨餅も気に入った。これは、帰りにお土産に買った。

昼食後上品に商品を並べているロビーに出た。
一番奥まったところに、白いレースのカーテンを見かけた。近寄ってみると、素麺の室内干しだ。
まるで、繊細なガラス繊維のように吊り下がっている。
冬の寒い時、寒干しにしているのを、テレビの季節便りで見たことがあるが、このように室内に干されているのは、見るのが初めてだ。
この日の会議の副産物に感動、芸術的な美しさの、素麺の室内干しとの出会いが嬉しかった。
コメント (2)
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