カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

大和ならでは・茶粥懐石

2006年02月18日 | ☆ ふるさと・大和

マウスオンの後GIFアニメ5画像・万葉の歌


坪庭の蹲にさりげなく浮かせている赤と白の山茶花。
きっと季節の花がその時々浮かべられるのだろうと思う。
真竹に手を差し伸べるような梅の枝にはほころびかけた花が、里の春を知らせてくれる。
座敷にはグループごとの席が用意され、正座できないことを告げていた私の席には、丁度いい高さの座椅子が用意されていたことも嬉しい。
背もたれに分厚い座布団が添えてくれていたので、楽に座れる。
銘々盆に敷かれた和紙には、飛鳥の万葉の歌が主の手で書いてある。
四人とも違った歌なので、カメラに収めた。
箸紙の頭に、赤い実を付けた一枝が添えてあるのもおもてなしの心を感じる。
「何の実だろう」と手にとって眺めていると、尾上ツヤ子先生が、「これ、そよごの木の実」とすぐ言われた。
万葉集に出てくるのかしら・・・お尋ねしたらよかったと今、これを書きながら悔やんでいる。


マウスオンの後GIF後5画像・茶粥懐石料理

天井部分は、昔の旧家のつくりのままのようで、障子に囲まれた部屋は落ち着く。
部屋の隅の番傘の明かりがほのかで美しい。
食事は茶粥懐石で、「明日香風」と名づけてある。
禄高の、口取り、煮物、焼き物に続き、お椀、お造り、茶碗蒸し、揚げ物の次に出たのが、香の物と茶粥である。

大和の茶粥は、小さい頃からの朝食であった。
祖母の味であり、母の味である。病気の時は白粥を別に作ってくれたが、茶粥は朝の常食として、育ってきた。
だから、ここでその懐かしい味と出会えたことがほのぼのとした暖かさに包まれることができた。

炊き込まれているのに、米粒がつぶれない炊き方は、難しいがうまく炊かれている。
「大和ならでは」と題したのは、この茶粥を食することが出来たからである。
勿論どのお料理も、食材を吟味して旬のものを生かされていて美味しかったし、四人で話題が弾んだのも楽しい時間だった。


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大和ならでは・神籬(ひもろぎ)  その1

2006年02月17日 | ☆ ふるさと・大和

「晩秋の万葉大和路」の講師・万葉植物研究家・尾上ツヤ子先生(2005年11月29日・12月7日の記事に掲載)を交えて女性4人で雨の明日香に昼食に出かけた。
先生ともう一度お会いしたいと計画してくれた公民館活動サークルのリーダーと、ここ「神籬」に場所設定をしてくれた歌仲間のHさん。
私は喜び勇んで連れて行ってもらうという存在で、なんともあり難い事だった。
飛鳥坐神社のすぐ傍にそのお店があった。
「神籬」という名もそういうところから、命名されたのだろう。言葉の響きがとてもよい。
予約制なので、前半の食事人の済むまで暫く待つ間、店のあちこちを興味深く眺める。
昔ながらの民家を生かした趣のある雰囲気に、昼食への期待が高まってくる。
明日に続く。

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部分開通に期待・京奈和自動車道

2006年02月16日 | ★ 日々の呟き

『京奈和自動車道五條道路開通を間近に控え開通する道路とじかにふれあい、五條市内を貫く五條道路に親しみを持ってもらえるよう、イベントを実施します』
市の広報誌の催し欄に掲載された記事である。
実施日は3月21日。
側道部はすでに一部利用し、直線距離で走れる便利さを実感している。


金剛山を越えて大阪河内長野市に繋がっている310号線の上を越えるところが現在工事の最中である。
310号線を跨いで和歌山県橋本市へと京奈和自動車道は繋がっていく。
交通渋滞の24号線に平行しているから、町なかの渋滞緩和が期待できる。


小雨模様の空の下で大型重機が、大きな音を立てて動いている。
開通に向けてピッチを上げているように見える。
このようにして、部分開通をしながら、いつの日にか、京都・奈良・和歌山が1本に繋がるのであろう。
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焦土の中から

2006年02月15日 | △ 旅 あれこれ ドライブ


南宗禅寺
戦国武将・三好長慶によって1557年に創立された寺。
大阪夏の陣で焼失したが、沢庵和尚によって再建された。
若き日の千利休が禅の修行をつみ、侘び茶の精神を培ったことでも知られる茶道ゆかりの寺。



GIFアニメ5画像

「奈良の町で一番好きな場所は?」と問われたら、即座に「東大寺の裏から二月堂への石畳と土塀の道」と答えている。
そんな私の土塀への拘りを、ここ、堺の利休ゆかりの寺南宗禅寺を訪ねたとき、一瞬神経がビビッッとするような土塀に遭遇した。
この土塀の作られた史実については、調べてもわからなかったが、案内してくれた友人の話では、昔の大火(多分大阪夏の陣と想像した)で寺が焼けてしまった後、寺や、その周辺の瓦を、焦土の中から、集め土で固めながら塀を築いたとの事であった。
瓦の色も、土の色も、さまざまで塀の横1段が同じであっても、上に立ち上がるにつれて微妙な色変りの見えるものがある。
主になっている瓦の差込みも、一見面がそろっているように見えるが、欠けていたり焼けた様な色跡が残っている。

焼け跡の瓦集めや土集め、築く作業は、きっとお寺関係の人だけでなく、当時の町を挙げての人の手が関わっていたのであろうと、想像しながら、今このお寺のあちこちに見られる瓦土塀に、人の温もりをおぼえて感激しながら土塀散策をした。


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塔の軒先に琴が・・・

2006年02月14日 | ☆ ふるさと・大和

早春の青い空にすっくと伸びている相輪。
お寺に行くと必ず撮ってくるのが、相輪とか鵄尾である。
岡寺の三重塔も綺麗だと思いカメラを向けていた。
水煙の透かし彫りは、もっと性能のいいカメラだと近く引き寄せられるのにと残念である。


昨日チロリアンランプさんから教えてもらった、岡寺のHPを丹念に見ていると、三重塔軒先に琴が吊り下げられていることを知った。
相輪に惹かれていたので気が付かなかった。
撮ってきた写真にそれが写っているか確かめたくてもう一度PCの中をごそごそ探した。
三重塔全容では、「これが、そうかしら?見ようによっては琴に見えるかな・・・」


何しろ、塔の軒先に琴が吊り下げられているのは、日本では岡寺にしかないと書かれていたので、事前に知っていたら、もっと丁寧に撮ってきたものをと、もう何年来お参りしているお寺を見る目が、マンネリ化していたことと、開いていない目が、自分にあることに気づいた。

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