恐山菩提寺の象徴的お堂。ご本尊地蔵菩薩を祀っている。荒涼たる地獄の入口に
人間の建造物が立ち塞がるように建っている。先ずこのお堂で地獄めぐりの安寧
を祈ってから奥に行くのがよろしい。決して真っ直ぐ地獄に行かないようにね!。
参照:黄泉(よみ)の門
2018年下北半島巡礼は、やはり恐山温泉から始まった。恐山温泉とは恐山菩提寺
境内にある湯小屋巡り。筆者にとって恐山とは温泉を意味する。その恐山は丁度
夏の例大祭で賑わっていた。映像の「塔婆堂」で信者の方々は卒塔婆を買い求める。
映像:永代石灯篭群列の向こうに、恐山 伽羅陀山菩提寺地蔵堂が鎮座している。
三つの湯小屋の真ん中を地蔵堂への石畳が走る。普通、寺院メイン道は本堂に向かうが
ここ霊場恐山では地蔵堂がメインの位置にある。そう、地蔵堂に多くの霊が宿るからだ。
その証拠に参拝客の多くは本堂でなく地蔵堂に向かうそして其処から数多地獄に向かう。
山号:釜臥山 宗派:曹洞宗 本尊:地蔵菩薩 開祖:円仁(自覚大使) 本坊:円通寺
別称:恐山菩提寺 三大霊山:比叡山・高野山・恐山
札所:津軽三十三観音霊場
小国郷(南小国町)は鎌倉時代北条氏の所領で、鎮西奉行北条時定が
創建したとされる。国重要文化財の北条時宗像(伝)がある。この寺
を中心に発展したのが満願寺温泉。中世から見られる『寺湯』である。
宗派:高野山真言宗 本尊:地蔵菩薩 開祖(建立):北条時定
感想:阿蘇山辺境の地にあって山門は天井(頭上)に鐘楼を備えるもの
で風格のある立派なものだ。(九州三十三観音霊場 第十六番)
日光山中禅寺湖の歌ケ浜にある古刹。本寺の成り立ちは男体山に最初に登頂したと
される勝道上人が関わっているとされる。湖上から見た歌ケ浜の立ち木が千手観音
に見え立木に掘ったのが千手観音像と伝承。中禅寺と二荒山神社が男体山の守役だ。
寺格:別院(輪宝寺) 宗派:天台宗 本尊:十一面千手観音菩薩 開祖:勝道上人(伝)
感動:映像でも確認できる様に日光は空と湖(反射光)で「光」に満ちあふれていた。
指定:国重要文化財(木像千手観音像)
奥日光の湯源郷の源がこの温泉寺である。日光湯元温泉の発見にまつわるお寺。
日光の山を霊場として開いた勝道上人が温泉を発見し温泉寺が開かれたそうだ。
寺に管理された温泉源・施設を『寺湯』という。青森県では恐山温泉が著名だ。
寺格:日光山輪王寺別院 宗派:天台宗 本尊:薬師瑠璃光如来 開祖:勝道上人
松山市内でのニワカ巡礼三番寺。繁多(はんた)寺とは妙な名前だ。
お寺の背後に鬱蒼とした樹木が茂るからだろうか? 名前とは裏腹
に寺の佇まいは閑静だった。これから参拝客が沢山くるのだろうか。
宗派:真言宗豊山派 本尊:薬師如来 開祖:行基(伝)
札所:四国八十八箇所 五十番札所
詠歌:よろずこそ 繁多なりとも 怠らず 諸病なかれと 望み祈れよ
観察:一遍上人が七年間も修行した寺で、風格のあるお寺。
参照:四国で最初の巡礼体験・・・高知県延光寺(2007年)
映像:愛媛県松山市浄土寺は未だ9時12分だというの集団巡礼さんがいた。
浄土寺は全国に数多ある名前の寺だ。極楽浄土を冠した寺は仁王様が遮る。
入口の仁王門の強面を掻い潜り広い境内に入ると光が眩しい浄土界だった。
朝早いというのにお遍路さんが集団でお参りしていた。境内に祈りが満つ。
宗派:真言宗豊山派 本尊:釈迦如来 開祖:恵明上人
指定:国重要文化財(本堂、木造空也上人立像)
札所:四国八十八箇所 四十九番札所
詠歌:十悪の 我身を棄てず そのままに 浄土の寺へ まいりこそすれ
観察:空也上人が三年間滞在し自ら掘った空也上人立像が重要文化財。
参照:四国で最初の巡礼体験・・・高知県延光寺(2007年)
松山市の観光スポット。ここ石手寺は巡礼寺であると同時に道後温泉、
松山城と並ぶ松山の三大観光スポットである。前日、道後温泉商店街
のご亭主が何もないといったのは謙遜だろうか?見所一杯巡礼Power。
参照#①道後温泉本館全景 ②松山城(伊予国松山藩)
映像:松山市にある四国巡礼ハ十八箇所51番の石毛寺の国宝仁王門
四国八十八箇所を巡るお遍路旅は普通の生活の人には無縁なのかも知れない。
時間や金のある人達、無くても自分の裁量で気儘に生きていける人・・・普通に
会社勤めでは時間が取れない。まして家庭のある人はなかなか難しいだろう。
今回二回目のニワカお遍路を試みる。のんびりといかないが一時同行二人旅。
宗派:真言宗豊山派 本尊:薬師如来 開祖:行基(伝)、聖武天皇(勅願)
創建:729年(伝) 札所:四国八十八箇所 五十一番札所
指定:国宝(仁王門)、重要文化財(本堂・鐘楼・三重塔他)ミシュランガイド★
詠歌:西方を よそとはみまじ 安養の 寺に詣りて 受けくる十楽
観察:国宝、国重文、県文化財などが伽藍を構成、愛媛県屈指の名刹。
成田山と言えば、歌舞伎「よ!成田屋」の市川団十郎(第7代)を
想起する。第一額堂(升堂)を私費一千両で寄進したが1965年に
不審火消失した。そこにあった団十郎の石像を現額堂に移設した。
記録:市川團十郎は初代から成田山不動尊を信仰し成田山と深い
関係があり屋号を「成田屋」とし、特に七代目は江戸時代
の名優、繁盛し自らの額を収める額堂を私費を投じて寄進。
参照:市川團十郎像が設置されている「新勝寺額堂」
( 2017成田山参拝 完 )
成田山境内に至る。関東の古刹でこの寺程有名な寺もない。
毎年2月の節分はここでの年男の豆まきがニュースとなり
全国に伝わる。今回漸く成田山詣でを楽しむことができた。
宗派 : 真言宗智山派 寺格:大本山 本尊:大聖不動明王
開祖 : 寛朝僧正 別称:成田不動、成田山
指定 : 重要文化財(光明堂、釈迦堂、三重塔、仁王門、額堂)
初詣 : 初詣客数は、明治神宮に次ぐ第二位の300万人前後。
成田山新勝寺は辿れば平将門にまで辿りつく。当時関東の武士は朝廷(京都)
からみたら蝦夷にも思うほど遠い存在。その関東の平静を祈願した成田山。
新勝寺とは、「新たに勝つ」つまり関東の勝利霊場である。その古刹の総門。
美味:この総門の手前参道側に「成田山のうなぎ」で有名な「駿河屋」がある。
駿河屋は元々はお宿であったが、交通の利便で宿泊客が減り鰻屋に。