お湯の国 日本

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宮沢賢治(七重の・・・中尊寺)

2015年11月30日 |   ✒文学逍遥 紀行

碑文は宮沢賢治の自筆を写したもの、金色堂建立八百五十年を記念して建てられたという。
文語調五・七調のリフレイン詩は難解だ。しかし、金色堂を目の当りにしたその栄華の証
に邪悪な心も消えただただ感じ入り、襟をただしてその場を立ち去るという宮沢賢治の心

題目: 中尊寺
詩文: 七重の舎利の小塔に 蓋なすや緑の燐光
    大盗は銀のかたびら おろがむとまづ膝だてば
    赭(しや)のまなこただつぶらにて もろの肱映えかがやけり
    手觸れ得ね舎利の寳塔大盗は禮して没(き)ゆる
                           宮沢賢治
感想:宮沢賢治は森羅万象を極めた科学者でもあった。その宮沢も金色堂の放つオーラに
   感動したことは、この詩文の行間に見て取れる。しかも、この詩文の続きに平泉を
   頼って落ち延びた源義経のことも詠んでいる。中尊寺は只のお寺ではない。心の里。

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源義経像(中尊寺:平泉町)

2015年11月30日 |  🏰城郭史跡探訪

映像:安住の地極楽浄土平泉の地をめざした史実を伝える弁慶堂に義経像が安置される。

源義経は実兄により滅ぼされた悲劇の英雄。異母兄弟ではあるが血が繋がっていたが
源平の戦いで活躍が著しく、その武勇を、名声・朝廷の優遇を嫌った兄頼朝の冷たい
仕打ちとも思える。現代のsns時代だったもう少し分かり合えたかもしれないのだが。

感想:結局は兄頼朝の鎌倉時代も短命に終わり源氏の治世は続かなかった。一方では
   源義経の武勇、悲劇、北方回帰は伝説となり、いまでも人々の心に残っている。
   驕る平家久しからず、戦う源氏やすまらず、悲劇の義経主従伝えは永遠なりや

参照源義経(悲劇の英雄)探訪紀行

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富山城址(越中国富山藩)

2015年11月30日 |  🏰城郭史跡探訪

富山市電ループラインで富山城にやって来た。こじんまりと端正な城構え、
彦根城や犬山城など現存する天守を参考にして復元された模擬天守である。
ここも歴史の波を感じられる。 主は神保氏、佐々氏、前田氏と変遷した。

城郭:梯郭式平城 平城 城主:佐々氏 遺構:石垣、堀
石高:加賀藩支藩10万石 家紋:丁子梅鉢(ちょうじうめばち)

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