≪ Ⅿemoir:漱石句碑 京都木屋町御池の旅館「北大嘉」での発句 2009.12.20撮影 ≫
生涯四度の京都旅。その最期の旅で出逢った祇園の女将を思い成した句だという。
時は明治、今の様にスマートフォンのない時代。SNSで伝える事も出来なかった。
木屋町の宿から鴨川の向こう祇園の女へ誰が見るとも分からないからさり気なく。
碑文:(木屋町に宿を取っています。川向の御多佳さんに)
春の川を 隔てゝ 男女(おとこおみな)哉(かな) 漱石
解釈:川向うの宿におります。お話したいことがあります会えないでしょうか
解説:現代でいったらスマホでLINEメッセージだろう。しかし、誰が見るか分か
らないから、宿でまってるというメッセージなのかもしれない。気がある
なら直ぐ訪問するのだろうが、無いなら今でいう「既読無視」なのだろう。
参照#①京都の温泉と言えば、豆腐懐石の後の一湯「嵐山温泉」が思い浮かぶ
②夏目漱石も又、恋多い青年であった。旧制五高教授時代のエピソード
【長野県温泉探査・軽井沢アウトレット 2019.6.29】
軽井沢のアウトレットを見物しているとセレブな犬が乗物に乗ってやってきた。
一見して大事に育てられているように見える。このワンちゃんカメラを構えた
筆者にカメラ目線で応えた。飼い主も、自慢げに撮影を黙認。軽井沢のお犬様。
参照#宮城県石巻市の道の駅「上品の郷」で見かけた車中泊のお犬様
【信州温泉探査・軽井沢アウト・レット 2019.6.29】
JR軽井沢駅を挟んで南に広大なアウトレットモールがある。軽井沢駅を通過するたびに
眺めてたものだった・・。今回、ようやくこのアウトレットに立ち寄った。映像手前の店
はプラダのブランドショップ店。昼を適当に食べて、グルリ見学買物は靴下3足だった。
記録:このアウトレットは広い芝生を基調に240もの店舗があり、東京ドーム6個分
の敷地内は各ポイント間無料シャトルバスが走っている。ピクニック気分で満足。
【信州温泉探査・軽井沢アウト・レット 2019.6.29】
2019年大人の休日は信州温泉探査。とはいうものの信州はかなり網羅なので松山市
を中心の観光旅行がかったものとなった。先ず最初は大宮駅で北陸新幹線に乗り換えて
最初の探査は軽井沢アウトレット。この日は小雨降る霧模様の長野県の第一歩となった。
記録:新幹線(2面4線)、乗車客4,013人/日(降車含まず2018年)、地上駅、しなの鉄道
参照#軽井沢駅から近い温泉:星野温泉トンボの湯
【静岡県温泉探査・東京23区 完 2019.5.27】
旅はいつか終る、そして又まる。今回は東京駅の夜で「静岡県温泉探査」を終了したい。
この旅にご協力頂いた静岡の友人夫妻に改めて御礼の意を表す。旅は出会い、旅は発見、
旅は触れ合い。多くの心温まる交流が生まれた。また新しい旅の準備をしなければ・・・
参照#①筆者旅の中継基地東京駅景観 ②JR弘前駅ミッドナイト ③JR三宮駅ミッドナイト
~ 2019年 春 静岡県温泉探査紀行 完 ~
【静岡県温泉探査・東京23区編2019.5.27】
東海道新幹線の終着駅東京駅に降り立つ。乗り換え可能だが東京の空を見たかった。
東京駅の正面は真っ直ぐ皇居へと繋がっていた。天皇がお召列車に乗る時この道を
通るロイヤルロードだ。東京が皇室という象徴の都であることを再認識させられる。
参照:皇居がある広大な江戸城の北の丸に位置する東京国立近代美術館
≪ Mémoire:かくは宮川デパート(追手門広場ミニチュア建造物展示)2005.6.29≫
弘前っ子なら誰もが心に想い描く娯楽場所がある。大正時代に東北初の本格的デパート
として開業した「かくは宮川」子供が泣いて駄々をこねると「かくはにいぐが?」と言
うとピタリ止む程。屋上に回転木馬など遊具があり食堂には美味しい料理が待っていた。
懐古:家族で「かくは宮川」デパートに行くと決まって遊ぶのが大きな鬼の人形。お腹
めがけてボールを投げ、命中すると両手を上げガオーと吼えるのが子供心に峻烈。
記録:大正ロマンを引き継いだ鉄筋コンクリート。東北で初のエレベータ設置デパ―ト
大正12年開業、平成10年閉業、後にファッションビル・・屋台村・・・現在マンション。
【静岡県温泉探査・東京23区編2019.5.27】
静岡県温泉探査も無事終了した。東京駅で東海道新幹線から東北新幹線に乗り換えが必要だ。
途中、品川付近で車上から東京湾風景を眺望。様変わりだ。品川駅構内や隣接工場跡地など
殺風景だった景色が品川駅周辺再開発で御覧の様にビル街に変貌。東京だけがどんどん成長。
参照#①JR品川駅周辺の景観 ②JR大井駅周辺の景観
≪ Mémoire(メモワール):名曲喫茶「ひまわり」(弘前市土手町)映像2007.3.31 ≫
学生時代にたま~に寄って雰囲気を味わった名曲喫茶「ひまわり」。もう何十年も前の事。
向かいにはカソリック系の聖愛女子学園(中学・高校)があった。当時、高校生は喫茶店
利用を制限されていて唯一この喫茶店だけは許されていた。ジャスミン・ティーを飲んで
、クラシックの名曲を聴き、広めの胸元セーラー服の聖愛の姉ちゃんを横目でチラちらり。
解説:名曲喫茶「ひまわりは」現在でも営業している。老舗喫茶「万茶ン」と同じく息が
長い。文学愛好者が多い弘前では、この「ひまわり」か「万茶ン」がたまり場だった。
ちょっと進んだ?高校生は学校近くのジャズ喫茶「オーヨー」に入り浸っていたが、
筆者はタバコ臭学ランを着た方には馴染めないのでとうとう行ったことがなかった。
記録:少子高齢化の波で弘前の教育環境も激変。女子高の聖愛高校、柴田高校、中央高校
は男女共学となり、岩木高校は中央高校に吸収。学生達の立ち寄り先の今泉書店、
その後出来た紀伊国屋書店が閉店。土手町商店街はガラガラとなった。寂しい限り。
参照#老舗喫茶「万茶ン」
【静岡県温泉探査・梅ヶ島温泉編 2019.5.27】
梅ヶ島温泉郷での全日程を終えて旅立ちの朝、分宿した学会員の確認の役割で投宿外の
旅館に立ち寄る。女性陣が投宿したお宿は女性好みの湯殿が点在していた。中でも興味
を引いたのが畳敷きに樽風呂が三つ配置された湯室。おしとやかに入るに相応しい湯殿。
【DATA】単純硫黄泉 38.2℃ PH9.6℃ 源泉:梅ケ島温泉混合泉
浴感:この旅館のコンセプトは武田信玄の隠し湯に因んで、風林火山。その中の「風
(ふう)の湯」の浴室は畳敷き。浴感はやはり「和」。しなやかな湯心地である。
参照#同じく梅ヶ島温泉12のお宿の中の名物女将がいる旅館いちかわの湯殿
≪入浴速報:天間林温泉 七戸町天間林 2019.11 .3 2019年入浴1回目≫
🔵今日入浴して感じたのが湯使いの豊富さ。此処は県南で一、二の豊富な湯
国道4号線を十和田市から北上する。途中東北新幹線七戸十和田駅を通過後
旧天間林村に至る。町の中心に入り、国道右に位置する温泉が天間林温泉だ
地の利から地元民や長距離ドライバーの愛好家も多い。浴槽もバラエティだ。
【DATA】単純温泉 44.5℃ pH8.4 源泉:天間林温泉
計測:大風呂41℃、熱湯42℃、温湯38℃、水風呂18℃
記録:2016年5回、2017年4回、2018年1回
【静岡県温泉探査・梅ヶ島温泉編2019.5.27】
2019年日本温泉地域学会梅ヶ島温泉大会開催を主導した老舗旅館梅薫楼の大浴場。前回
訪問時は穴風呂を楽しんだのだが、今回は投宿ということで、この旅館の一番の湯殿を
楽しむ。画面左上に桶風呂がある。これが梅ヶ島温泉の源泉を投入した源泉風呂である。
【Data】単純硫黄泉 38.2℃ PH9.6℃ 源泉:梅ケ島温泉混合泉
浴感:「お湯のふるさと公園」にある源泉洞窟に身を鎮めたい欲望をこの大浴場にある
金乃湯で体感できる。PH9.6という高アルカリ性が乳化作用を起こし肌すべやか。
参照#①梅ヶ島温泉12の源泉源と源泉窟 ②梅ヶ島温泉湯滝 ③梅薫楼の名物「穴風呂」
【静岡県温泉探査・梅ヶ島温泉郷 2019.5.26】
今回の静岡県温泉探査の最終目的は梅ヶ島温泉。いよいよ佳境に入って来た。その核心
である梅ヶ島温泉のシンボルが『湯の滝』今日は特別にライトアップ。湯滝の両側に見
える番号札が源泉を示す。日本でも湯の滝は多数あるがこの様に鑑賞できるのは珍しい。
【DATA】単純硫黄泉 38.2℃ pH9.2 165ℓ/m 源泉:湯の滝周辺①~⑫源泉の混合泉
記録:梅ヶ島温泉湯滝源泉一覧(映像の湯滝の外左側に集中してる)、落差およそ10m
①百合の湯 ②梅の湯 ③黄金の湯 ④虹の湯 ⑤つつじの湯 ⑥岩風呂
⑦銀の湯 ⑧椿の湯 ⑨金の湯 ⑩珠の湯 ⑪紅葉の湯 ⑫山吹の湯
参照#筆者が観察した湯の滝。 ☞ 「日本名滝涼感厳選36滝」の㉝参照
②オンネトー湯の滝 ( 温泉楽園、桃源郷、地質百選 30ⅿ:北海道足寄町)
④カムイワッカ湯の滝(世界遺産知床半島硫黄山一滝20ⅿ:北海道斜里町)
㉗川原毛大湯滝(泥湯地獄噴気帯から流れる硫黄湯滝 20ⅿ:秋田県湯沢市)
㊱震動の滝(名物となった九重夢大橋から眺望大湯滝 93ⅿ:大分県九重町)
画像:BAR銀座ルパンで寛ぐ太宰治。この写真は店内カウンター越しに掲示されてる
平成調査結果:研究&調査&執筆 太宰治(含羞と失意の作家) 2006.4~2018.12
太宰治。この作家程筆者の心を揺らす小説家もいない。何故なら同じ郷里。夢半ばで自殺。
同じ高校(太宰は旧制弘前高校)。そして文芸部顧問の相馬正一という太宰心酔の先生に
文学の手ほどきを受ける。未だある、最初の赴任地が太宰治の生家(斜陽館)前の施設だ。
だからと言って太宰に心酔していた訳ではない。寧ろ、冷ややかに彼の軌跡を辿る傍観者。
(下記アンダーラインをクリックすると本ブログの訪問記録参照可)
① 生家・・・太宰治の生家。以前個人所有時代「斜陽館」という旅館だった (金木町)
② 裸島・・・太宰治の湯治先(浅虫温泉郷 椿館)で遊んだ浅虫海岸の小島 (青森市)
③ 万茶ん・・・太宰治が旧制弘前高校に通っていた頃顔を出していた喫茶店 (弘前市)
④ 学びの家・・・太宰治が旧制弘前高校へ通った時に、下宿した家が記念館 (弘前市)
⑤ 結婚式場・・・太宰治が駆落ち同棲した小山初代との結婚式会場柴田旅館 (平川市)
⑥ 赤い糸・・・太宰治の小説、「思い出」の赤い絲のイメージモニュメント (函館市)
⑦ 疎開の家・・・太宰治が東京から郷里金木へ疎開したときの家が残っている (金木町)
⑧ 観覧山・この小高い山にむつ湾を見下ろして太宰治文学碑が建っている (外ヶ浜町)
⑨ 竜飛岬・小説『津軽』で人生の袋小路と表現した、竜飛岬に建つ文学碑 (外ヶ浜町)
⑩ 乳母タケ・・・津軽半島の漁村が乳母タケの嫁ぎ先。記念館前に像がある (中泊町)
⑪ 月見草・・・津軽半島小泊で見つけた「富士には月見草が良く似合う」花 (中泊町)
⑫ 千畳敷海岸・・・太宰治が避暑先に来た時に、立ち寄った西海岸の景勝地 (深浦町)
⑬ 太宰の宿・・・西海岸の漁港に太宰が遊びに来て宿泊した老舗旅館が保存 (深浦町)
⑭ 芦野公園・・・ベルレーヌの詩が刻まれた文学碑が芦野湖を見下ろしている (金木町)
⑮ メロス号・・・太宰の生家の町を通るローカル電車(愛称は「走れメロス号」) (金木町)
⑯ 弘法湯・・・太宰が新婚時に利用したであろう冨士が見える甲府湯村温泉 (甲府市)
⑰ 玉川上水・・・太宰治終焉の地、玉川上水の心中自殺現場。悲しみに佇む (三鷹市)