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   ある日のできごと、心の呟き、よしなしごとetc

「0(ゼロ)葬」

2019年03月11日 | 人生・幸せ・老い・お付き合い
「0(ゼロ)葬」というものがあると、最近友人から聞きました。

火葬場で、遺族が骨を一切拾わないというのが「0葬」だそうです。
つまりお骨拾いという儀式がないのですね。



2019年02月23日の朝日新聞は、ちょうどタイムリーな記事でした。

★今のような墓石を建てるようになったのは江戸中期。「○○家之墓」という墓碑は明治末期からだそうな。

結構新しい習慣ですね。

★全部収骨というものがあるというのも、この新聞で初めて知りました。
東日本は全部収骨が多く、西日本は部分収骨が多いような。

私は西日本での骨拾いの経験しかないのです。骨壺サイズを選べます。

あれを全部納めるとなると、東日本の骨壺はよほど大きいのだろうなぁと想像しました。

調べてみると、骨壷のサイズは9種類(2寸 2.3寸 3寸 4寸 5寸 6寸 7寸 8寸 尺寸)あり、骨壷の一般的なサイズは東日本は7寸(直径21.7cm、高さ25.5cm)、西日本は3~5寸だそうな。

★地域によって、骨を一切拾わない選択が可能だったり、不可能だったりするそうです。

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私は散骨希望です。
だからお墓に入る気もありません。
地球に還って行くのがベストです。
そこに寂しさはありません。

私は、墓自体に意味を感じていません。
だからといって、意味を感じている人を否定する気もありません。

考えてみたら、骨があるから、どうしようかと思案するわけで、私のように地球に還って行くのがベストだと考える人間の骨は拾わなくてもよいと思います。
遺った人が悩まず済みます。
散骨をする必要すらありません。

時にどなたかが思い出してくだされば嬉しいのかな…とチラッと思いますが、それさえも死んでしまえばどうでもいいことなのだと思えます。

私自身は墓同様、葬式も戒名も法要もいりません。
もともと信心深い人間ではありませんから。

もし、遺った人が、自分たちの心の慰めの為にこうしたいというやり方があるとしたら、そのようにしてもらってもいいわけでして。
要するに、自分ではどうすることもできないことですから、どうでもいいのです。
すべて何でも無しであり、何でも有りなのです。


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このブログって、遺言代わりになりますね。

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