木曾路に入ると、旧道はすぐに国道沿いの土手を上る細い坂道を行き(上段写真)、「さっそくきたな…」という気分にさせます。
誰も通らなければ消滅してしまいそうな山道を10分ほど行くと下り坂となります。
その先で再び国道19号線に合流すると、明治天皇も立ち寄ったと云う旧茶屋本陣跡を右に見て桜沢地区を過ぎ、片平橋を渡って歩くこと約15分、右手の土手上に「若王子一里塚」が見えてきました。
現存 . . . 本文を読む
本山宿を出たところで再び国道19号線に合流しますが、5分ほどで右手に分かれて「第2中仙道踏切」を渡り、中央本線の西側を進むうち、日出塩(ひでしお)地区へと入ります(上段写真)。
その入口付近の左手には、61里目の「日出塩一里塚跡」の棒標識が立っています。
日出塩地区を抜けると再び国道19号線に合流、左手には中央本線と急峻な斜面を、右手には奈良井川の急流を望みながら歩くこと約1㌔、右カーブの . . . 本文を読む
高札場を過ぎて坂を下り、現在は中央本線のガードと立体交差している枡形を通って宿場を抜けると、今度は上り坂となります。
途中左手に、「牧野一里塚跡」の碑を見てさらに歩くうち、国道19号線に合流。
1㌔ほどで再び右側へ分岐して直進すると、洗馬宿から約3.5㌔の本山宿に到着(上段写真)。
本陣は遺っていませんが、かつての旅籠が数軒遺されていて、昔日を偲ぶことができます。
ちなみに旅籠の軒看板は . . . 本文を読む
その先の「平出歴史公園」信号を左折して県道304号線に入るのが、かつての旧道。
緩やかな左カーブを過ぎて下り坂に差し掛かったところで、右手に二代将軍徳川秀忠が上洛の際に肱を懸けて休んだと伝えられる“肱懸松”跡の碑があり(上段写真)、そこから右脇へ下って行く細道が、旧道です。
枡形に通り抜けた地点が善光寺道との追分であり、また洗馬(せば)宿の入口。
洗馬宿は、江戸初期までの旧々中山道が廃道とな . . . 本文を読む
塩尻宿まで歩いた旧中山道探訪、その続きを歩いてみることにします。
旧道は下大門信号の三叉路を左折、塩尻市街を右にかすめて進んで中央本線のガードをくぐり抜け、昭和電工の前を過ぎると、左手に一里塚が見えてきます。
これは江戸から59番目の「平出一里塚」で、上段写真は南塚。
お向かいの民家裏には、北塚もしっかりと現存しています。
平出一里塚を過ぎると、両側に葡萄畑などがひろがる“桔梗ヶ . . . 本文を読む
今年も明治神宮へ、神前奉納の能狂言を観に出かける。
狂言は大藏流の「鬼瓦」。
はじまる前に、この作品のあらすじを連れの者へ得意そうに説明している老女がいらしたが、
「鬼瓦? それはあんた、アタシの顔みたいなことよ」
と解説されたほうが、連ればかりか万人もすっきりと納得したことだろう。
能は金剛流の「淡路」。
後場の、伊弉諾(いざなぎ)の神が国土の平和を祝福する場面を奉納。
ほん . . . 本文を読む
毎年たのしみにしている近所の藤が、今年もふっさりと花をつけた。
“季節”がすなわち、あなたと出逢う約束のしるし。
あなたはその約束を、かならず果たしてくれる。
うたがいは人間にあり。
花にいつわりなきものを。
あゝ風よ、まだまだ散らしたまふな。
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