名勝「寝覚の床」は、上松宿から旧道を辿ること、約2㌔の場所にあります。
立場茶屋(休憩所)だった「たせや」と、むかしから蕎麦が有名で、現在も旅館と兼ねて営業を続けている「越前屋」(上段写真)との間にある坂を下った先、崖の上からそれは望むことができます。
しかし、そのためには突き当たりに山門を構える禅寺で、200円の“入園料”を払い、山内へ入らなければなりません。
自然がつくりだした景観は、誰 . . . 本文を読む
神戸地区を抜けて約10分後、再び中央本線のガードをくぐり抜け、国道19号線に合流すると、すぐに左へ分かれ、標高740㍍の板敷野地区へ。
その外れでアスファルトの道から分かれて、中央本線に沿って伸びる細い草道が、かつての道筋。
進むうちに草道の旧道は、盛り土の上に建つ小さなお堂の前で、途切れてしまいます(上段写真)。
右手のお堂は「沓掛馬頭観世音」と云い、木曽義仲が川で溺れ死んだ愛馬を弔うため . . . 本文を読む
予想通り、草むらの先にはかつての道筋が、かろうじて残されていました↑。
木立を抜けると、その先には関所の門のモニュメントが。
かつての道筋はそのまま国道を渡り、山に沿って大きく湾曲するように通っていましたが、途中で中央本線の線路に行き当たって消滅しているため、国道まで引き返します。
その先、「元橋」信号先で中央本線のガードをくぐり抜け、緩い坂を上って神戸(ごうど)地区へ入って行くと、 . . . 本文を読む
中八沢橋を渡るとすぐに右折して福島宿を抜け、長坂と云うその名もズバリ長い坂を上って中央本線「木曽福島駅」前を過ぎ、その先の社殿左脇の細道を入っていきます。
そして、木曽町役場の裏手へと続く、「急傾斜地崩落危険区域」に指定されている細道を下って行きます(上段写真)。
坂を下った先が、公民館前に一里塚跡の石碑が建つ、塩淵(しょうぶち)地区。
その先で一度県道に合流すると、「県立木曽病院」信号で . . . 本文を読む
“天下の四大関所”と称された福島の関所は、江戸初期より木曽代官の山村氏が世襲で守護にあたり、特に「女改め」と「鉄砲改め」に重点をおいて、取り締まっていたそうです。
つまり、“入り鉄砲に出女”というわけです。
山村氏のことは「夜明け前」にも、抗い難い地方権力の象徴として、たびたび登場します。
しかし、そんな彼等が代々守護してきた関所も、明治2年に宿駅制度が廃止されると、すぐに取り壊されました。 . . . 本文を読む
国道19号線の歩道を約10分ほど行くと、左手に「出尻一里塚」跡を推定した碑↑があり、その脇をS字に下って行く細い砂利道が、旧道です。
その先で一度国道に合流した後、木曽警察署付近で再び右手に分かれ、5分ほど直進すると「関町」信号、国道はそのままのトンネルへと入って行きますが、旧道は右手へと分かれます。
すると行く手には、関所の門を拡大化した大門が見えてきます。
この先が、島崎藤村の . . . 本文を読む
原野地区から約10分ほど行った左手に、中山道の中間地点を示す標識が↑。
日本橋より歩き始めた旧中山道探訪も、ようやく半ばに達したわけです。
中間地点から約5分ほど行った小沢地区で、右に分かれる細道へと入り、木立と民家の続くなかをさらに5分ほど行くと、左手に旧中山道であることを示されたケモノ道のような細道が。
そこを下って草道を通り、正沢川に架かる網棚のような橋を渡り、古民家が残る栗本地 . . . 本文を読む
藪原宿から宮ノ越宿までの旧道は、吉田洞門付近の“わせぐり坂”にその痕跡らしきがわずかに見られるほかは、現在その大半が消滅しています。
そのため、宮ノ越宿手前の徳音寺という集落(上段写真)に入るあたりまで、国道19号線と県道259号線を、一部迂回するようにして進むしかありません。
宮ノ越宿はかつて、中山道六十九次の中間点として位置づけられた宿場でした。
↑写真の左手が本陣跡で、池水庭園風 . . . 本文を読む
下りはじめて20分ほどでアスファルトの道となり、民家もチラホラと見えてきて、「人里に下ってきたんだな…」という気分に。
やがて、蛇行する坂道の途中に、古えより旅人たちの喉をうるおしてきた「原町清水」が(上段写真)。
水は現在でも飲むことが出来、水のありがたさを心から思わずにはいられません。
旧道は飛騨街道との追分の手前で右折して、路地のような道に入り、中央本線の跨線橋を渡ると、そこが藪原宿 . . . 本文を読む
新道を行くこと約5分、御嶽遥拝所の小さな平地に出ます。
しかし石碑も鳥居も、現在では老朽化による倒壊の恐れがあるため、ロープが張られて近寄れないようになっています。
またこの場所は、消滅したかつての道筋との合流点でもあり(上段写真)、そこには現在でも、
“右 中山道
左 明治道路”
と刻まれた小さな道標が遺っています。
右手を見ればなるほど、かつての道筋の痕跡があります。 . . . 本文を読む
鎮神社を過ぎてさらに坂道を上って行くと、鳥居峠の登り口となる狭い石段が、右手に見えてきます。
島崎藤村「夜明け前」の冒頭そのままの山道(上段写真)を上り続けること約16分、葬沢(ほうむりさわ)と呼ばれる場所に至ります。
ここには、かつてこの場所に存在していた「中の茶屋」を復元する意味で設置したとおぼしき休憩用の東屋があり、ここから先は急勾配の九十九折りが続きます。
約15分のぼったところ . . . 本文を読む
旧道は平沢地区から先、奈良井宿の手前まで、奈良井川の左側を通りますが、初期の頃はすぐに川を渡り、右岸を通っていました。
その道筋は、現在ではほとんど失われて、赤松の林となっています。
しかし、そのなかに埋もれるようにして建つ「橋戸一里塚」(上段写真)が、当時の痕跡をわずかに伝えています。
この区間の旧道は現在、国道になっていますが、大型車の通行量が多く、また歩道も不完全で無粋な雰囲気のため . . . 本文を読む
国道19号線を中央本線のトンネル上―かつての旧道との合流地点―まで進むと、その先で工事現場の足場のような、危なかっしい仮設歩道を通ることなります。
その終点で、左手の草むらにのこる旧道へ、逃げ込むように入り、桃岡地区を通ります(上段写真)。
真新しい石碑が立つ「押込一里塚」跡から再び国道に合流して奈良井川を渡り、長瀬地区でまた旧道へと入ります。
約1㌔先で国道に合流、「平沢北」信号で再び . . . 本文を読む
国道19号線に戻り、しばらく行くうち中央本線の贄川駅を左手に見て過ぎ、線路に沿ってさらに進むと、線路越しに「贄川関所」↑が見えてきます。
山村氏が福島関所と兼ねて支配していた関所で、女性の通行と木曾名物“ヒノキの曲物”の密輸を、主に厳しく取り締まっていました。
明治2年に関所は廃止となり建物は取り壊されましたが、近年になって復元されました。
さて、関所の前を通っているのは、もちろん旧道で . . . 本文を読む
旧道は若王子一里塚を過ぎた先で国道を右手に分かれ、眼下に国道と中央本線を望みながら、小高い丘の上を行きます。
またこのあたりは涌き水が豊富で、地元の人々の大切な給水源となっています(上段写真)。
丘の上を行く旧道は、中畑地区に入ると昔日そのままの草道となり、
旧中山道、現中山道(国道19号線)、そしてJR中央本線と、木曽路の変遷を一度に見られる面白い光景に出会います。
この先 . . . 本文を読む