
(『わが闘争』 “flickr”より By Michael Dawes http://www.flickr.com/photos/tk_five_0/2229836777/ )
【「タブー特有のオーラが神秘化につながる」】
先の戦争の責任問題について曖昧な形で放置(あるいは、意図的に残存)されることもある日本に対し、同じ枢軸国ドイツでは、ナチス・ヒトラーの責任を厳しく追及(あるいは、全責任を負わせる)する点で、対応が異なっているというイメージがあります。
そのドイツで、ヒトラーの著書『わが闘争』の出版が企画され、話題になっています。
著作権はバイエルン州が有していますが、2015年末で「期限切れ」を迎えるという事情があります。
出版する側の言い分は、隠せば神秘化するだけで、オープンにした方がいい・・・というものです。
学術目的には必要との擁護論もありますが、カネ目当て、極右のネオナチが喜ぶだけ・・・といった批判も強いようです。
なお、ドイツでは基本法(憲法)で「出版の自由」を保障する一方、刑法ではナチス賛美につながる書物の配布を禁じています。
****ヒトラー『わが闘争』をいまさら出版する訳****
世界中で忌み嫌われるナチスの独裁者アドルフ・ヒトラーの著書『わが闘争』。反ユダヤ思想に満ちたこの本の抜粋に解説を付けて、英出版社アルバルクスがドイツで出版するという。週刊誌「新聞の目撃者」の付録として26日から3回にわたり16ページずつ発行。1ページごとに解説を付けて、10万部を印刷する。話題性は抜群だが、その動機は何なのか。
「負の魅惑があるのは承知しているが、それは誰も読んだことがないせいだ。タブー特有のオーラが神秘化につながる」と、アルバルタス社のピーター・マギー代表は独誌に語った。ドイツの人々に原文に触れる機会を与えたいだけだという。
とはいえ世間は納得しない。シャルロッテ・クノブロッホ前ドイツ・ユダヤ人中央評議会議長は、カネ目当てではとの見方を示した。「ドイツで書かれた扇動的プロパガンダの中で最も邪悪な部類」の本で、ここまで注目される価値はないという。
一方、ドルトムントエ科大学教授(ジャーナリズム学)で解説の一部を担当したホルスト・ベトカーは出版を擁護する。「できる限り広範な読者の目に触れさせるべきだと思う。ナチスが何を考えていたのか、この思想のどこが魅力的だったのかを知るには、それが一番だから」と、ペトカーは語った。
『わが闘争』はヒトラーが1923年のミュンヘン一揆に関与した罪で投獄中に口述筆記された。45年までにドイツ国内で約1000万邦が出版され、36年からは結婚するすべてのカップルにナチス政府からの結婚祝いとして贈られた。
著作権を保有するバイエルン州当局は出版差し止めを求めて提訴する構えだ。ドイツでは著者の死後70年間(『わが闘争』の場合は2015年まで)著作権が保護される。
マギーがナチス政権当時の党機関紙の抜粋を含む「新聞の目撃者」を09年に創刊した際も、州当局は出版阻止を試みた。しかしミュンヘンの裁判所は、人種的憎悪をあおろうとしているわけではないので違法とはいえない、との判断を下した。
メルケル首相率いるキリスト教民主同盟(CDU)のシュレーダー家庭相も出版に反対している。「ドイツには惨劇の地がいくらでもある」と独地方紙に語った。「ナチスの罪の残忍さを理解するのに、『わが闘争』を売店に並べるまでもない」【2月1日号 Newsweek日本版】
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結局、抜粋部分を黒塗りなどする形で、実質的に公開は断念されることになったと報じられています。
****「わが闘争」、黒塗りで出版=反発受け公開断念―ドイツ****
ドイツでナチス総統ヒトラーの著書「わが闘争」の抜粋を雑誌の付録として発行する計画を進めていた英国の出版社は25日、反発が広がったのを受け、抜粋部分を黒塗りなどして隠す措置を施した上で、販売すると発表した。26日に予定通り発行されるが、解説部分だけ読めるようにする。
著作権を保有するバイエルン州は発行計画に対し、差し止めを求めて提訴する構えを見せていた。同社は、黒塗りの措置について「問題が大きくなるのを避けるため」と説明。ただ法的に問題がないと確認されれば、「完全に読める形にして改めて発行する」としている。【1月26日 時事】
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【イスラエルに反感を持つ中東地域で、一定の人気】
“黒塗り”というのも、戦後日本の教科書みたいで異様です。
『わが闘争』については、公立現代史研究所(ミュンヘン)が10年2月、「重要な歴史資料」との理由で、著作権が切れた後に注釈付きの新刊を出版したい意向を表明し、同様の賛否両論が出たこともあります。
その際、ナチスの被害を受けたユダヤ人の組織「独ユダヤ人中央評議会」の事務局長は「今も危険な本だが、禁書扱いはかえって魅力的に映ってしまう。既にインターネット上では非合法に出回っている。ネオナチの勝手な解釈を許さないためにも、むしろきちんと学術的解説を加え、世に出した方がいい。正しい歴史理解や研究のためには必要な資料だ」と出版に理解を示しています。
しかし、「ネオナチが(勢力拡大に)本を利用する可能性もある」「研究目的であれば今でも図書館で読める」などの批判も強かったのも今回同様です。
****ドイツ:ヒトラーの「わが闘争」再出版 国内で論争に****
・・・・ドイツでは昨年、戦後初めてヒトラーを真正面から取り上げた大規模な特別展「ヒトラーとドイツ人」がベルリンで開催されるなど、タブー視する風潮も徐々に薄れている。
「わが闘争」は本国ドイツ以外では翻訳が入手可能。日本では角川書店が73年から文庫版で翻訳本を刊行。08年にはイースト・プレス社(東京)から漫画版も出版された。
05年にはトルコの若者の間でベストセラーになるなど、ユダヤ人が多いイスラエルに反感を持つ中東地域で、一定の人気を保っている。このため反ユダヤ感情をあおる危険を懸念する声もある。【11年9月27日 毎日】
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【ドイツ人の約5人に1人は隠れ反ユダヤ主義者】
理屈からすれば、「禁書扱いはかえって魅力的に映ってしまう。既にインターネット上では非合法に出回っている。ネオナチの勝手な解釈を許さないためにも、むしろきちんと学術的解説を加え、世に出した方がいい」という意見の方が筋がとおっているようにも見えますが、現実の社会情勢を見ると、やはり心配されるのも分かります。
****ドイツの若者、5人に1人が「アウシュビッツって何?」 ****
27日の「国際ホロコースト記念日」を前に公表された調査結果で、ドイツの若者の5人に1人は、かつてアウシュビッツがナチス・ドイツの「死のキャンプ」だったことを知らないことが明らかになった。
25日に公表された独シュテルン誌による調査は19、20両日に、1002人を対象に行われた。
その結果、全体の90%はアウシュビッツが強制収容所だったと正しく答えられたが、18~29歳の若年層では21%が「知らない」と答えた。
なお、回答者の約3人に1人は、アウシュビッツが現在のポーランドにあることを知らなかった。
ドイツ議会が専門家に独立調査を依頼し、今週初めに発表された報告書によると、ドイツ人の約5人に1人は隠れ反ユダヤ主義者だという。【1月26日 AFP】
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問題は、『わが闘争』そのもより、それを一定に受け入れることが懸念される社会的土壌にあるようです。
反ユダヤ主義の土壌、若者における歴史の風化・・・という現実社会において、『わが闘争』出版がどのような影響をもたらすか・・・という心配は考慮すべきでしょう。
昨年末には、極右ネオナチによる外国人・移民の連続殺人が判明し、社会に衝撃を与えています。
****ドイツ:ネオナチが連続殺人の疑い…首相「ドイツの恥だ」****
外国人や移民を敵視するドイツの極右ネオナチの男女3人組が00~07年に、トルコ系移民ら計10人を次々に殺害していた疑いが強まり、ドイツ社会に衝撃が走っている。90年の東西ドイツ統一以来、ネオナチによる移民襲撃は散発的に起きているが、これほど大規模な連続殺人が明るみに出たのは初めて。メルケル首相は「ドイツの恥だ」と強く非難した。
独メディアによると、射殺されたのは軽食スタンド経営などのトルコ系男性8人、ギリシャ系男性1人と、ドイツ人女性警察官1人。現場は北部ハンブルクや南部ミュンヘンなどドイツ全土の7都市にわたり、これまでは「トルコ系マフィアの抗争」との見方が有力とされていた。
だが今月4日、銀行強盗の疑いで警察に追われていた38歳と34歳の男2人が中部アイゼナハで自殺し、この2人と同居していた36歳の女が警察に出頭したことで事件が急展開。3人が住んでいた東部ツウィッカウの民家の家宅捜索で、被害者の遺体を撮影したDVDや、射殺に使用されたとみられる銃が見つかり、一連の事件は3人の犯行だった可能性が一気に高まった。
3人は「国家社会主義地下組織」を名乗るネオナチで、捜査当局は90年代から爆発物所持容疑で行方を追っていた。だが長年身柄を確保できず、その間に捜査対象をマフィアなどに集中していた当局への批判の声も上がっている。【11年11月17日 毎日】
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【今のイスラエルでホロコーストの記憶が不気味なほど軽くなっている】
歴史の風化・変容を憂うる声は、「ホロコースト」を抱えるユダヤ人社会のイスラエルからも報告されています。
****ホロコーストをネタにする醜悪さ****
時間の経過と知識不足が相まって、ナチスの蛮行が不適切な比喩に使われるように
昨年の夫みそか、イスラエル人がエルサレムでデモを行った。子連れのデモで、子供たちはナチスの強制収容所でユダヤ人が着せられたのと同じような服を着ていた。それはある意味、今のイスラエルでホロコースト(ユダヤ人夫虐殺)の記憶が不気味なほど軽くなっていることの象徴だった。
デモを行ったのは、ユダヤ教正統派の中でも超保守的な一派。
乗り合いバスなどでの男女隔離の慣行を廃止しようとする世俗派の動きに反対する抗議行動だった。
その隊列に何十人かの子供たちがいて、黄色い星を縫い付けたしま模様の服を着せられていた。世俗派の「攻撃」にさらされる自分たちを、あのホロコーストの犠牲者になぞらえたつもりなのだろう。
これには左右両派の政治家はもちろん、国内外のユダヤ人グループからも、ホロコーストを矯小化する醜悪な試みだという怒りの声が上がった。
そのとおりだ。だが、イスラエルの人たちが日頃の政治的な議論で、皮肉めかしてホロコーストに言及するのは今に始まったことではない。
もちろん、イスラエルはホロコーストの記憶を決して忘れないし、EUやヨーロッパ諸国の一部はホロコーストの矯小化を法的に禁じている。
それでもホロコースト追悼記念館ヤド・バシェム(エルサレム)の学術顧問イェフダ・バウアーに言わせると、「イスラエル人はホロコーストを、政治をはじめとするあらゆる場面で乱用している」。
例えば1982年にイスラエルがレバノンに侵攻し、ベイルートでパレスチナ解放機構(PLO)のヤセル・アラファト議長を包囲した際のこと。イスラエルのメナヒム・ベギン首相(当時)は、アラファトをヒトラーに例えることで自国の行為を正当化しようとした。そんな比喩は「ホロコーストの真の意味をゆがめかねない」と、バウアーは危惧している。
同胞をナチス呼ばわり
だが、イスラエル人が同胞のイスラエル人をナチス呼ばわりすることさえ珍しくないのが現実だ。パレスチナ自治区のヨルダン川西岸に勝手に住み着いたユダヤ人人植者たちは、退去を遣るイスラエル兵をナチス呼ばわりする。
交通違反で摘発されたドライバーが、警官をナチスと呼ぶことも珍しくない。
アメリカのユダヤ系団体である名誉毀損防止連盟(ADL)のエーブラハム・フォックスマン会長は、こうした不適切な例えは世界的に見られることであり、無知と時間の経過が原因だと指摘する。(中略)
そんな傾向がユダヤ人の国イスラエルでも見られるのは、実に嘆かわしいことだ。何しろイスラエルには、ホロコーストを生き延びた人たちが今なお約20万人も暮らしている(もちろん世界最多だ)。
それでもヤド・バシェムの学術顧問であるバウアーは、イスラエル人特有の心情を理解してほしいと言う。「この国はいつも、ホロコーストのトラウマを抱えている。だから対立する相手や敵と見える者を、すぐに自分たちの知る最悪の敵と同一視してしまうのだ」【1月25日号 Newsweek日本版】
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