(高級住宅地地区と、貧困地区を隔てる「恥の壁」【6月4日 AFP】)
【「候補者は父でない、私が候補」とは言うものの・・・】
南米・ペルーのケイコ・フジモリ氏(41)が大統領選挙で惜敗したことは周知のところです。
9日に選管から発表された開票率100%の集計結果で、クチンスキ氏の得票率が50.12%、ケイコ氏は49.88%となり、その差はわずか0.24ポイント(約4万2000票)ですが、疑問票を考慮しても逆転は不可能となり、ケイコ氏の敗退が確定しました。
****フジモリ政権評価の呪縛 「候補者は父でない、私が候補」と訴えたが・・・・****
歴史的接戦となった南米ペルーの大統領選の審判は、ケイコ氏に厳しい現実を突きつけた。前回(2011年)に続き、今回も決選投票で僅差で及ばなかった。
第1回目の投票を5年前と比較すると、ケイコ氏の得票率は前回の23.6%(2位)から39.9%(1位)に増えた。ケイコ氏の政治的ビジョンが浸透した結果といえる。
だが、元大統領である父親、アルベルト・フジモリ氏時代の政権運営の評価が争点となった選挙戦で、「候補者は父ではない。私です」と訴え続けたにもかかわらず、最終盤で「独裁政権が復活する」と不安をあおる反フジモリ派の激しいネガティブキャンペーンに勢いをそがれた。
事実上の勝利宣言をしたクチンスキ氏は、「すべての政党と話し合う」とケイコ氏側との協議も模索する。
フジモリ派と反フジモリ派で二分化された社会の「融和を図るため」とされるが、実際には国会はケイコ氏が党首を務める政党の議員が過半数を占める「ねじれ」状態。クチンスキ氏の政権運営は船出から逆風だからこその発言だろう。
政権と地道に対峙していけば、ケイコ氏は5年後、3度目の挑戦で悲願達成の可能性もあるが、慎重さも求められる。
政権側に反対するだけでは、「やはり独裁を求めている」とのレッテルを貼られ、「融和を阻害している」として反フジモリ派に攻撃材料を与えかねないからだ。フジモリ政権への評価という“呪縛”は今後も続く。【6月10日 産経】
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日系人ということで心情的にケイコ氏を応援したくもなりますが、前回の決選投票が48.551%、今回が49.88%と、ケイコ氏にとって50%の厚い壁があります。
心情的な部分はさておいて、冷静に考えれば、5年前の選挙のときが36歳、今回が41歳、殆ど政治経験も実績もないにもかかわらず、最大野党指導者となり、大統領にあと一歩まで迫れるというのは、父フジモリ氏のファーストレディとして得た知名度、父フジモリ氏を支持してきた政治家の後押し、父フジモリ氏の実績に共感する人々の期待・・・・など、ひとえに父フジモリ氏あってのことですので、同時に父フジモリ氏の負のイメージを背負うことになるのもやむを得ないところです。
財産だけ相続して、負債は相続しないといった虫のいい話が通用しないのと同じです。
【強いリーダーシップをアピールするケイコ氏に重なる父の負のイメージ】
父フジモリ氏の功績については、“父フジモリ氏は7千%に達したインフレを抑え、貿易の自由化や民営化で経済を再建。左翼ゲリラのテロを鎮圧し、貧しい地方には道路や学校を建設した。ケイコ氏のイメージは父親と結びつけられ、特に中間層と低所得層の支持が厚い。”【5月5日 朝日】と言われています。
中道右派のケイコ氏は、父のこのイメージを自分に重ね合わせるように、市場経済を中心とした発想で開かれたペルーを目指す新自由主義経済路線に貧者救済のための社会政策を加えた「ポスト新自由主義」路線を主張すると同時に、父のような「強い指導者」のイメージをアピールしました。
****ケイコ・フジモリ氏「軍投入して治安を改善」****
ペルーの大統領選挙を前に候補者を集めたテレビ討論会が開かれ、支持率トップのケイコ・フジモリ氏は軍も投入して治安を改善するなどと述べ、強いリーダーシップをアピールしました。(中略)
これまでの世論調査で支持率のトップを走るケイコ・フジモリ氏は、犯罪の発生件数が高止まりしている問題を取り上げ、「軍に警察を支援させ、治安を改善する」と述べ、強いリーダーシップをアピールしました。
また、支持率で2位につけているペドロ・クチンスキー元首相は、「中小企業に手厚い支援を行い、経済発展につなげる」と述べ、かつて経済・財政相を務め、経済政策に詳しいという、みずからの強みを強調しました。
このほか討論会では、ケイコ・フジモリ氏の父親のフジモリ元大統領が在任中に憲法を停止するなど強権的な手法に傾いたことが取り上げられる場面もありました。
これに対し、ケイコ・フジモリ氏は、父親の用いた手法は繰り返さないとした書面に署名するパフォーマンスで切り抜け、さらなる支持を訴えていました。ペルーの大統領選挙は今月10日に行われます。【4月4日 NHK】
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ただ、軍を投入して治安を回復というのは、父フジモリ氏の負の側面にもつながります。
父フジモリ氏は、1990年代にペルーで起きた軍特殊部隊(コリーナ部隊)による民間人殺害事件の「ラ・カントゥタ事件」「バリオス・アルトス事件」について、禁錮25年の有罪判決が確定して服役しています。
「ラ・カントゥタ事件」は、1992年7月18日にペルーで起こった誘拐拷問殺人事件で、ペルー国軍のコリーナ部隊が、左翼ゲリラ組織「センデロ・ルミノソ」のメンバーと誤認した学生9人と教授1人を拉致して殺害したもの。
「バリオス・アルトス事件」は、1991年11月3日にペルーで起こった大量殺人事件で。やはりペルー国軍のコリーナ部隊が、「センデロ・ルミノソ」と誤認し、バーベキュー・パーティーをしていた民間人15人(8歳の男の子も含む)を殺害した事件です。
こうした事件の背景については、以下のようにも。
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ペルーにおいて、武装勢力センデロ・ルミノソによるテロ活動が活発であった。テロ暴力におびえる支配地域住民の支持もあった。「一時、ペルー国土の3分の1を制圧したこともある」とされる。ペルー国内では武装勢力に対抗するため、1982年より国軍が投入されてきた。
その一方で、武装勢力の協力が疑われる一般市民に対して、襲撃などの行為が目立ってきた。左翼の多い大学に対して、警察および軍関係者は、抑圧の姿勢で臨むことが一般的となった。
また、テロを根絶するということを優先課題として、軍部の人権侵害に対して寛容になる方向で、当時のペルー政府首脳は動いていた(中略)
1990年7月28日にペルー大統領に就任したアルベルト・フジモリ大統領は、ブラディミロ・モンテシノスら情報機関幹部と連密になり、ガルシア政権よりもより軍部の利益を重視することとなった。【ウィキペディア】
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当時の父フジモリ氏の強権支配・軍の横暴の犠牲になった者の関係者からすれば、ケイコ氏が“軍を投入して治安回復”と訴えれば、どうしても父親の負のイメージと重なるのは止む得ないでしょう。
「候補者は父ではない。私です」とは言っても、当時、父フジモリの傍らで離婚した母親に代ってファーストレディとして立ち微笑んでいたのは、他ならぬケイコ氏ですから。
また、父の負のイメージから逃れるために、父親の恩赦は行わないことを再三主張していますが、大統領で、かつ、議会でも過半数を与党が占めるとなれば、「恩赦」という形をとらなくても方法はいろいろあります。
やはり恩赦は行わないとしていた5年前の選挙のときも、“ケイコ氏は自身の当選後、憲法裁判所が「体制」の意を酌み、元大統領を裁いた最高裁特別刑事法廷に裁判やり直しを命じ、その上で無罪を勝ち取るシナリオを描いていたとみられている。”【2011年6月8日 読売】とも指摘されています。
なお、父フジモリ氏は服役中に病状が悪化し入院するといったことがしばしば報じられており、3月末にもめまいを訴え、リマの病院に検査入院しています。その後の状態は知りません。
【貧困層に残る「フジモリ神話」】
貧困層からは、「フジモリ神話」とも呼ぶべき、父フジモリ氏への強い支持が今もあるようです。
ケイコ氏を支えるのはこの貧困層の期待です。
****なお残るフジモリ神話 島に電気、被災地に家・・・住民感謝 ペルー****
南米ペルーの大統領選の決選投票で、日系3世のケイコ・フジモリ氏(41)の得票は、事実上の勝利宣言をしたクチンスキー元首相(77)にわずかに及ばなかった。
だが、「独裁者」とも批判される元大統領の長女がなぜ、ここまで支持されるのか。各地を歩くと、あちこちに深く根を張る「フジモリ神話」が浮かび上がってくる。
■「独裁」批判には勝てず
標高約3800メートルのアンデス高地に広がるティティカカ湖。富士山頂より高い水面をボートで進むと、アシでつくられた浮島・ウロス島が現れる。80以上の小島からなり、2千人以上の先住民が暮らす。
「この島に電気をくれたのはフジモリだった。今も初めて電気を見た感激を忘れない」。浮島で暮らすテオロラ・クエラさん(65)は振り返る。以前は、夜はろうそくの明かりだけが頼りで、ともすれば家は火事になり、子どもが焼け死ぬこともあった。
「フジモリ」とは、ケイコ氏の父で、1990年から10年間にわたり政権を握ったアルベルト・フジモリ元大統領(77)。島を訪れたフジモリ氏はソーラーパネルを設置し、家々に電球を配った。テオロラさんは今もそのソーラーパネルを使う。「先住民のことを心配する大統領なんて初めてだった。島民はずっと感謝し続けている」
生活に満足しているわけではない。観光と漁業に頼る生活は貧しく、テレビもない。住民が政府から忘れられたと感じていた頃にやってきたのが、ケイコ氏。家々を訪ね、住民の悩みや訴えを聞く姿に人々は父親の姿を重ねた。ジョナタン・チャルカさん(21)は「ケイコも大統領になったら島を助けてくれる」と話す。
フジモリ氏が大統領に就任した頃、ペルーでは左翼ゲリラが地方を占拠し、混乱状態だった。フジモリ氏はテロの背景に経済格差や先住民への根強い差別があることに着目し、貧しい地域を何度も訪れて道路を整備し、学校を建てた。
北西部のアルミランテグラウでは、98年の大洪水で壊滅した町の住民にフジモリ政権が土地や家を提供。目抜き通りにはフジモリ氏の名が冠せられている。「大統領自らヘリコプターに乗って救助にやってきた」と農家のアンヘル・ヨベラさん(45)は振り返る。「あの時の恩は忘れない。だから今はケイコを応援している」
パン屋を営むロランド・モレさん(46)は、人権侵害や横領の罪で収監中のフジモリ氏を接見で訪れたことがある。「直接会って感謝を伝えたかった」
ケイコ氏は最終的には、父の時代の「独裁」「汚職」への批判を乗り越えられなかった形だが、サンマルコス大学のセノン・デパス教授(政治哲学)は「批判の強さは人気の裏返しでもある。5年後の出馬を多くの人々が望むのではないか」とみる。【6月11日 朝日】
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もっとも、フジモリ氏を含め、政治から顧みられることのない貧困地区もあるようです。
政治家が声高に主張する「成長」から取り残される貧困層が多いのは、他の国々と同じです。
****ペルー「恥の壁」が突き付ける重大問題、大統領選 5日決選投票****
ペルーの首都リマの南東に、丘陵の斜面に沿って造られた壁がある。地元では「恥の壁」と呼ばれている。
上部に有刺鉄線が張り巡らされたこの壁は高級住宅地のラスカスアリーナス)地区と、貧困層が暮らすパンプローナアルタ地区を隔てている。
全長約10キロに及ぶこの壁は、大邸宅やプール、青々とした芝生があるラスカスアリーナス地区で犯罪が起こるのを防ごうと5年前に建設された。
しかし壁の反対側で電気も水道もないほこりまみれの掘っ立て小屋に暮らす7500人にとっては、犯罪の引き金になる社会的格差を目の前に突き付けるものでしかない。
首都で成功しようとペルー北部から引っ越してきたというパンプローナアルタの女性は、「壁が建てられた時は悲しかった。好きこのんでみじめな生活をしているわけではない。仕事が必要だからここにいるだけなのに」と嘆いた。「あの壁のせいで、お前は貧乏だって言われ続けている気がする」
多くのペルー国民は今年4月10日、経済成長の鈍化に歯止めをかけてくれる新大統領の誕生を願って投票所に行った。しかし国内の何百万人は、そもそも経済成長を実感したことがない。
住民らの話では、パンプローナアルタに選挙運動に来た候補者は一人もいなかったという。選挙ポスターが貼られたままの木製の掲示板を、自分たちの小屋の壁にした人もいた。
英非政府組織(NGO)のオックスファム(Oxfam)の研究者アルマンド・メンドーサ氏は「再び経済を成長させるには、不平等はどうしても解決しなければならない重大問題」なのだが、「そのことを政治家は理解していない」と指摘する。
有権者2300万人の支持を得たい候補者らは、生活の向上を公約。現在収監されているアルベルト・フジモリ元大統領の長女で、保守派のケイコ・フジモリ氏(41)は、「成長のアクセルを踏み込んでいく」と宣言し、零細企業への減税を約束した。
第1回投票の得票率で首位に立ったケイコ氏は、2位だった中道右派のペドロ・パブロ・クチンスキー氏(77)と6月5日に行われる決選投票で対決する。クチンスキー氏も、経済を活性化させて成長に弾みをつけることで、300万人分の雇用を創出すると公約している。【6月4日 AFP】
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なお、この貧困地区については、“集落には、アルベルト氏の長女、ケイコ・フジモリ氏(40)のポスターや掲示板が目立つ。大半の住民はケイコ氏を支持している。「フジモリ大統領は私たちの集落に足を運んでくれた。ケイコも大統領にならなければならない」とビダルテさんは力を込めた。
アルベルト氏は貧困地域に出向き、住民らの要望を聞いた。(中略)各地の集落をまわり、貧困層の住民の声に耳を傾けるケイコ氏は父親と同じだった。”【6月8日 産経】という報道もあります。
【「われわれは金持ち優遇の政策から国民を守る」】
敗北を認めたケイコ氏は“最大野党の存在感を誇示し、富裕層の支持が厚いクチンスキ氏に対し「われわれは金持ち優遇の政策から国民を守る」とくぎも刺した。”【6月11日 時事】とのことです。
当選したクチンスキー氏が率いる政党は、一院制の議席(定数130)で18議席と少数派で、73議席を擁するフジモリ派の政党の協力なくして政権運営はおぼつかない事情もあります。
殆ど実績・経験のないまま大統領に就任するよりは、最大野党の存在感を貧困層に配慮した政策に実現していくことで実績・経験を積む方が、優れた大統領への道であるように思えます。年齢的にこれからも何回でも挑戦できます。「成長のアクセルを踏み込んでいく」ことと、貧困層への配慮を両立させることはたやすいことではありませんが。
なお、弟のケンジ氏との確執があるとか。
****ケイコ・フジモリ氏、弟と確執か・・・・父との関係で****
ペルー大統領選決選投票で敗れたフジモリ元大統領の長女ケイコ・フジモリ氏(41)と、弟で国会議員のケンジ・フジモリ氏(36)との間に、父親との関係を巡り確執が生じているとの見方がペルー国内で広がっている。
ケンジ氏が5日の投票日に投票所に姿を見せなかったためだ。
地元メディアによると、ケンジ氏はケイコ氏より父親と近く、今回の選挙戦で父親と距離を置く作戦をとったケイコ氏に不満を募らせているという。
ケンジ氏は4月下旬、「姉が負ければ、2021年の大統領選に立候補する」と表明。2人が所属する人民勢力党党首のケイコ氏が翌日、「候補者をだれにするかは政党が決めること」と否定する一幕もあった。【6月12日 読売】
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【帰属意識が薄れる日系社会】
ペルーの日系社会の後押しは今回、あまり目立たなかったようです。
****投票行動割れた日系社会 ケイコ氏特別視せず 明暗分けた可能性****
歴史的大接戦となった南米ペルーの大統領選は、ケイコ・フジモリ氏(41)のルーツである日系社会の投票行動が、明暗をわける一つの要素となった可能性が出てきた。
リードするペドロ・パブロ・クチンスキ元首相(77)との得票差はわずか4万票。同国の日系人社会は約10万人規模だが、全てがケイコ氏支持ではなく、「日系人の3分の1はクチンスキ氏に流れた」との声も出ている。若い世代の帰属意識の薄れなどが原因に挙げられる。
フジモリ氏は選挙戦終盤で日系社会を重要視しなかったようだ。5月に首都リマで行われた2万人規模の日系社会関連イベントに招待されていたが、出席を辞退。関係者は「欠席し多くの有権者の票を失った」と話した。
他方、ペルーの日系主要団体もフジモリ氏支持を明確に打ち出さず、選挙支援を行わなかったという。会社経営のマルコス・スズキ氏(65)は「伝統的にペルーの日系社会は政治運動に消極的。フジモリ家との接点も少なくなっている」と話した。
近年、日系社会には、ケイコ氏の父親であるアルベルト・フジモリ元大統領(77)を知らない若い世代も現れ、その数は増えているという。
日系人の女子大学生(18)は「クチンスキ氏の方が経済に強そうだ」と指摘。主婦(28)は「ケイコ氏はまだ若く、国の運営を任せられない」と話した。ペルーの日系紙「プレンサ・ニッケイ」のマヌエル・ヒガ編集局長は「インターネット上では激しい“反フジモリ”キャンペーンが展開され、日系社会の若い層はそれに流された」と説明している。【6月9日 産経】
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帰属意識が薄れ、“日系”ということだけでは動かないというのは、それだけペルー社会に同化している証ともとれますので、それはそれでいいのではないでしょうか。